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「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」こうもいっていました。「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」(1)

 

 

『すべては宇宙の采配』

木村秋則   東邦出版 2013/5/24

 

 

 

<この世界で、人間が理解できること、理解していることなんて、ほんのわずかに過ぎないと>

・わたしは、不可能だといわれた無農薬・無肥料のりんごの栽培をなんとか成功させました。そのときに、世間で理解されているものほど当てにならないことを知りました。

 

・わたしの畑に1立方センチメートルあたり30億個いるといわれるバクテリアは、顕微鏡を使ってもその全貌を知ることは不可能です。

 

<マンダラ>

・会場から外に出て、主催者のひとりに早速尋ねてみました。

 すると、わたしが扉を開けて宴会場に入ってくると同時に、白くて大きな発行体が一緒にぷわーっと入ってきたらしいのです。そして、わたしが歩く速度でついていったというのです。

 その関係者は「見えた」といいましたが、すぐ隣りに座っていたもうひとりの関係者は「見えなかった」といいました。やはりだれにでも見えたわけではなかったようですが、「見えた」人が何人もいたのは、会場の至るところでばらばらと同時多発的にざわつきはじめたことから明らかです。

 

・果たして、現像から戻ってきた写真はしっかりと白い発行体が写っていました。最初は「人魂じゃないのかな」と思いましたが、スキャニングしてデータをパソコンに取り込み、その部分を拡大していくと、白いなかに、なにかぼんやりと見えてきたのです。

 それはなんと……曼荼羅でした。

 胡坐をかいて手を下で組んでいる仏像のようなものが6体ほど、丸く配置されている様子がおぼろげながらに見えたのです。

 調べてみると、曼荼羅とは、「仏教(特に密教)の経典の内容を仏画に置き換えたもの」もしくは、「宇宙における根本原理を具体的にしたもの」

 なぜこんなものがわたしの側で浮いていたのか、いまでもわかりませんが、わたしはこういった不思議な現象と非常に縁のある人生を歩んできたのです。

 

<初めて見たUFO>

・その場にはわたしを入れて9人いましたが、全員見ています。幽霊は見られる人と見られない人がいますが、UFOはそうではないようで、全員が全員、目撃しているのです。

 UFOはゆっくりと、うちの屋根の上を横切るようにして通りすぎ、やがてどこともなくフッと消えてしまいました。

 

・これを皮切りに、わたしたち家族は何度もUFOを目撃することになりました。毎回目撃場所は一緒です。うちはUFOの航路上にあるようです。目撃が続く時期は、「晴れた日の午後7時前後には必ず見る」というくらいでした。

 

・当時は「岩木山からUFOらしき物体が飛んでいるのを見た」という目撃情報が相次ぎ、新聞にも載るほど話題になっていました。

 わたしにとってUFOは、「信じるか、信じないか」という存在ではありません。「絶対にいる」としかいいようがないのです。それは女房もわかっています。

 そもそも津軽は神秘的な土地柄で、日本最古の文字といわれる『津軽草文字=つがるくさもじ』、幻の中世都市である『十三湊=とさみなと』、奇書といわれる『東日流外三郡誌=つがるそとさんぐんし』など、興味の尽きない地域なのです。

 

<運転手>

・もうひとつのトラブルは、ちょっと不思議な出来事です。

 大型トラックは真夜中にひとりで走ることが多いためか、運転手のあいだでは常識では考えられない話……たとえば幽霊を見たという類の話は日常茶飯事、当たり前のように話されていました。

 霊感などないわたしですが、「いて当たり前」の世界に翻弄されたことがあります。

 

・「だったら、ほら、お前の車、ここから見てみろよ」

 そういわれて自分の車を振り返って、思わず声が出ました。「わッ………なんだ。あれ!」

 助手席には、なにやら得体の知れない、青白い巨大な三角おにぎりのようなものが座っていました。見間違いかと思って何度か目をしばたかせて確認しましたが、三角おにぎりは消えることはありません。怖いというより、ワケがわからないという感じです。運ちゃんとて知るはずもありませんが、ふたりの目にヘンなものが映っていることは間違いないのです。

「なんにしてもよ、この先にドライブインがあるから、そこで降ろしたほうがいいよ」

 

・わたしには先ほど見た青白い三角おにぎり以外のものは見えませんでしたが、もしかしたら、最初に教えてくれた運転手さんも、ドライブインの店員さんも、それがちゃんとした幽霊のかたちに見えたようです

「実はきょうの午後8時ごろ、この先のバスのUターン所で、バスガイドさんがひかれて亡くなる事故があったんだ。あんた、そこ通らなかった?」

 

<拉致>

・深夜2時くらいだったでしょうか。2階でひとりで寝ていると、いつもは朝が来るまで起きないのに、なぜか目が覚めてしまいました。「あぁ、生放送のテレビ出演に緊張しているのかな?」などと思っていたときでした。背後の部屋の窓が突然パーッと開いたのです。

 ちゃんとロックしてあるアルミサッシでしたが、壊されることもなく、まるで気で操られたかのごとく、自動的に開いたのです。

 

・2階の窓の外は3メートル空中です。彼らはからだのどこを動かすでもなく、わたしを抱えたまま空中を移動して上空へと上がっていきました。

 だんだん小さくなる自宅を眺めていました。自分の家の屋根を見たのは初めてです。抱えられたまま高く上がっていくと、やがて夜の闇のなかに縦状の光が見えました。オレンジとも黄色とも違う暖かい色の光が縞模様になっていました。

「あぁ、あの光源に向かっているんだな」直感的に思いました。

「きっとそこにはUFOがあるんだろうなぁ………」 

次の瞬間、気がつくとベンチのようなものに座らされ、まぶしい光に包まれていました。再び気がついたときは、UFOであろうものの室内にいました。

 

・普通ならUFOに連れてこられただけでも失禁もので、不気味な宇宙人に観察されるなど卒倒ものですが、不思議と「逃げたい」とか「怖い」といった感情は湧いてきませんでした。

 

宇宙船の操縦席のようでした。そこでUFOの動力について教えてもらったのです。「これは動力物質のスペアです。ほとんど取り替えることはないのですが、予備で用意しています」厚さ1センチ、一辺が20センチほどの三角形の黒くて硬い金属を渡してくれました。

 

・「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際につかわれているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」

「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。

 反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。

「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」

 こうもいっていました。

「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」

 

・彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。

 もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということだけです。

 

・見えたのは、たくさんの明かりでした。

 高層マンションや高層ホテルが作り出す夜景を、ビルごと横に倒したような景色でした。たくさんの明かりが横いっぱいに広がっているのが見えたのです。

 連れてこられた道のりを考えれば、UFOは弘前市の上空にあるはずですが、青森県にそのような夜景はありません。

 そもそもわたし以外の人間ふたりは白人です。窓の外の明かりを眺めながら、「地球外の土地」に思いを馳せていました。

 

・帰りは、来たときと同様に断片的な記憶しかありません。気がついたら宇宙人のふたり組に両脇を抱えられ、自宅2階の窓の外にいました。部屋には彼らと一緒にスーッと入りましたが、気がつくといなくなっていました。

 

・『ズームイン朝』の中継はわたしの畑から行われ、生放送は無事終わり、無農薬栽培のアドバイザーとしての役目を果たすことができました。

 ホッとしていると、生中継が終ってすぐに『日本UFO研究会』と名乗る人たちが畑にやってきました。別にわたしの身に起こったことを調査しにきたわけではありません。

 彼らの情報網がどうなっているのかはわかりませんが、わたしの畑の周辺が観測に適していると思ったのでしょう。「2日間くらいの予定で調査を始める」といい、パラボラアンテナを載せた車、電源車、普通車と、合計3代を畑の横の小高い場所に停めました。

 

<共鳴>

・去年、畑の見学ツアーに50人くらいの団体さんが来ました。なかに背の低い外国人女性がいました。通訳の人がいるわけではないので、「英語で話しかけられたらどうしようか」と思っていると、近づいてきて、おもむろに日本語で話しはじめました。「わたしもUFOを見ました」

「はい?」

 白人女性からいきなり日本語でUFOの話をされるなど思ってもみませんでしたので目を丸くしていると、彼女はわたしの驚きを気にすることもなく話しつづけました。

「『奇跡のりんご』を読んで来たのです。UFOのことが書いてありましたよね。著者の石川さんは幻想を見たんだろうと書かれていますが、それは違うと思うんです」

彼女はりんご畑を見に来たんだろうと書かれていますが、それは違うと思うんです」

 

・「(白人女性の)母はヒュンヒュ~ンという音と、パシッパシッという音に気づいて、以前のわたしと同じように、『うるさいわねぇ』とばかりに、リビングのカーテンを開けて音の正体を確かめにいきました。止める間はありませんでした。そこで見たのは、やはり窓の外に浮いているUFOと、玄関前に立っている宇宙人の姿です。母は腰を抜かしそうになり、『こんな怖いところは早く売って引っ越しなさい!』といいました。

 そういえば……と気づきました。たしかに怖いのですが、よく考えたら一切危害を加えてこないのです。何度も来ているのに、玄関の戸を破って家に侵入してきたり、窓を壊して入ってくるわけでもありません。一体なんの目的で来るのでしょう?わたしが怖れをなくすのを待っているのか、それともほかに想像もつかないような目的があるのでしょうか………」

 

 

 

『奇跡のリンゴ』 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

石川拓治 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」

幻冬舎    2011/4/12

 

 

 

<宇宙人に会った話>

・木村が酔って気分が良くなると、決まってする不思議な話がある。

宇宙人に会った話だ。

 

・「あれはさ、まだ軽トラックを売る前だから、無農薬栽培を始めて2年とか3年目くらいのことだ。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。夕方、何時頃かな、もうあたりは薄暗くなっていた。畑仕事が終わって、家に帰ろうと思って、軽トラの運転席に座ったの。そしたら、目の前に人が立っている。妙な人だった。全身が銀色に光っていて目も鼻も見えないのな。その銀色の人が、フロントガラス越しに、じっとこっちを覗き込んでいる。私、動けなくなってしまってな。目だけ動かして、何をするつもりだろうと思って見ていたら、なんと私のリンゴ畑に入っていくんだ。葉っぱが落ちて、荒れ放題の畑にな。それでさ、ものすごいスピードで畑の中を走り回っているんだよ。それから、ふっと消えたのな。いったい今のは何だったんだと、その時は首を傾げるばかりであったんだけどな。

 

・しばらくして、今度は夜中だ。夜中に起き出して、布団の横に座って、考え事をしていたときのことだ。寝床は二階にあるんだけどもな、カーテンが揺れて窓が開いたのな。そこから、人が二人入ってきた。小さくて、影のように真っ黒な人であった。その二人が私の両腕をつかんでさ、その開いた窓から外に出るの。気がついたら、空中に浮かんでいるのよ。下を見たら、家の屋根が見えた。黒い人たちは、何も言わない。私は二人に腕をつかまれたまま、どんどん上昇していった。空のかなり高いところに、ものすごく大きな宇宙船のようなものが浮かんでいてな、私はその中に連れ込まれたの。連れ込まれたのは、私だけじゃなかった。先客が二人いたのな。一人は若い白人の女の人、もう一人は白人の男だった。頭は角刈りでさ、なんか軍人のような感じであったな。しばらくそこに座らされていたんだけれど、そのうち一人ずつどこかへ連れていかれた。最初は女の人、それから軍人風の男、最後が私であった。

 

・歩いていくと、二人は平らな台のようなものにそれぞれ寝かされているのな。裸にされてよ。どういうわけか、逃げようとか、抵抗しようという気は起きなかった。ただ、私も裸にされるんだなと思いながら歩いていったの。ところが私は服を脱がされなかった。宇宙船の操縦室のようなところに連れていかれたの。操縦室といっても、計器のようなものは見あたらなかったな。そこで、どういう風にしてこの宇宙船が飛んでいるかを教えてくれてな。宇宙船の動力源だという、黒っぽい物質を見せてくれた。これで、空中に浮かぶんだとな。

 

・それから別の部屋に連れていかれた。そこには黒い人ではなくて、昔のギリシャの哲学者の……ソクラテスみたいな人がいた。大きな板が何枚もあってさ、それをこっちからこっちへ移動させろと言うんだ。よく見たら、地球のカレンダーなのな。一枚が一年。過去のカレンダーではないよ、未来のカレンダー。何枚あるんだろうと思って、数えてみたんだけどもよ……」

 何枚あったかは、いつも教えてくれない。そうたくさんはなかったと言う。

 

・ユングに言わせれば、空飛ぶ円盤は全体性の象徴ということになる。大きな困難に陥って自分を取り戻そうともがいているときに、現代人が見る典型的な幻視のひとつだ。中世の人々なら神を見た。神を信じられなくなった現代人は、そのかわりに空飛ぶ円盤を見るというわけだ。地上は現実の象徴であり、宇宙からやって来る何者かはその現実からの救いを意味する。ある意味では現実逃避なのだろうけれど、その何者かが円盤であることに重要な意味がある。困難に突き当たって分裂した自我は、再びひとつの完全な姿に戻ろうとする。円形や球体はその統一された完全な自我の象徴なのだ。何年もリンゴ栽培に失敗し続け、追い詰められて脳味噌が二つに割れそうなくらい混乱していた木村が、空飛ぶ円盤の幻を見たとしてもそれほど不思議ではない。

 

 もっとも、酔っている木村は、そういう現実的な解釈で自分の話が片付けられそうになると、とっておきのオチを持ち出して対抗する。

 

・「何年か経ってから、家でテレビを見ていたのよ。よくあるでしょう、『空飛ぶ円盤は実在する』みたいなよ、UFOの特集番組だ。その中に、宇宙人に連れ去られたという人が出てきた。それがさ、あの白人の女の人だったの。女房も一緒に見ていたんだけれど、驚いていたよ。私と同じ話をするんだもの。円盤の中には自分以外にも二人の地球人がいた、一人は軍人のような男で、もう一人は眼鏡をかけた東洋人だったって。それ、私のことでないかってな。あははは、あの時はさすがの私もびっくりしたよ」

 

・妻の美千子に、その話を確かめたことはない。困らせることになるのは、わかりきっているからだ。木村にしても、その話をするのは、酒を飲んだときに決まっている。

 だから、もちろんそれは木村のファンタジーなのだ。

 

・円盤とリンゴは何の関係もないようだけれど、木村の無意識の中ではおそらく深いつながりがある。円盤も無農薬のリンゴも、不可能の象徴なのだ。誰もがそんなものは幻だと言う。その円盤に乗ったということは、木村が不可能を克服するということだ。無農薬のリンゴは完成し、そして木村は完全な自己を取り戻す。

不可能を可能性にすること。

無農薬でリンゴを栽培することに、木村の全存在がかかっていたのだ。

 

<りんご農家が病害虫の駆除に膨大な手間と時間をかけている>

・しかし、その農家・木村さんの作るりんごは、農薬どころか有機肥料も一切使わず、そして「腐らない」といいます。いったいどんな秘密があるというのでしょうか。

 

・木村さんの無農薬でのりんご作りには、8年にも及ぶ試行錯誤の末に辿り着いた、独自のノウハウがありました。それでも木村さんは、相変わらずこう言いました。

 

「私、バカだからさ、いつかはできるんじゃないかって、ただイノシシみたいに突き進んだのさ」

 

<奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録>

・リンゴ農家の人々にとって、美しい畑を作ることは、豊かな実りを得るために欠かせないというだけでなく、おそらくはある種の道徳ですらあるのだ。

 そういう意味でも、そのリンゴの畑の主が、カマドケシという津軽弁の最悪の渾名で呼ばれているのは、仕方のないことだったかもしれない。

 

・なぜ、そんなに荒れているのか。

近所の農家で、理由を知らぬ者はいない。

農薬を散布しないからだ。

この6年間というもの、畑の主はリンゴ畑に一滴の農薬も散布していない。当然のことながら、リンゴの木は病気と害虫に冒され、春先に芽吹いた葉の大半が、夏になる前に落ちてしまう。おかげで、この何年かは花も咲かなくなった。

 

・今日は朝からずっとリンゴの木の下で、腕枕をして寝ていた。

カマドケシは、竈消しだ。一家の生活の中心である竈を消すとは、つまり家を潰し家族を路頭に迷わせるということ。農家にとってこれ以上の侮蔑はないのだが、その男にはいかにも相応しい悪口だった。

 いや、男が畑に座り込んだり寝たりして、ほんとうは何をしているか知ったら、カマドケシどころか、ついに頭がおかしくなったと思ったかもしれない。

 男は眠っていたわけではない。夏の強い日差しの下で、生い繁った雑草から立ち上がる青臭い匂いに包まれながら、リンゴの葉を食べる害虫を見ていた。

 

・リンゴの木を荒らす害虫を数え上げればきりがない。

春先の新葉や花芽を喰うトビハマキやミダレカクモンハマキなどのいわゆるハマキムシ類に始まって、葉を食べるシャクトリムシに、アブラムシ、ハダニ、果実を冒すシンクイムシにカイガラムシ……。代表的な種に限っても、30種類は下らないと言われている。

 

・農薬を使わずにリンゴを育てる。簡単に言えば、それが男の夢だった。少なくともその時代、実現は100%不可能と考えられていた夢である。

 

・リンゴの無農薬栽培などという難題に取り組んだおかげで、木村の一家が長年にわたってひどい窮乏生活を強いられたという話は聞いていた。けれど、それはもう10年以上も昔のことだ。

 現在は新聞やテレビでも取り上げられるくらい有名な人で、全国には彼の信奉者がたくさんいる。国内だけでなく、外国にまで農業を教えに行ったりもしているのだ。

 

・木村の人生がNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で紹介されたのが、その12月の初めのことだった。

 

・木村が狂ったひとつのものとは、いうまでもなくリンゴの無農薬栽培だ。今現在ですら、それは不可能だという専門家は少なくない。農薬を使わなければ、リンゴを収穫することは出来ない。現実のリンゴ栽培を知る人にとって、それは常識以前の問題なのだ。

 

・実を言えば、現在我々が食べているリンゴのほとんどすべてが、農薬が使われるようになってからから開発された品種だ。つまり、農薬を前提に品種改良された品種なのだ。

 

・リンゴという果物は、農薬に深く依存した、現代農業の象徴的存在なのだ。

 もっとも、そんな理屈を持ち出すまでもなく、リンゴを作っている農家なら誰でも、農薬の散布を怠れば畑がどれだけ簡単に病虫害の餌食になるか身をもって知っている。農薬を使っていても、その散布時期や方法を誤れば病害虫は発生するのだ。

 

・けれど、涙ぐましいまでの努力でなんとか持ちこたえた青森県のリンゴの畑も、明治40年代にはモニリア病と褐斑病というリンゴの病気の相次ぐ蔓延によって、今度こそ壊滅の危機に瀕することになる。とりわけ明治44年の褐斑病の激発ではリンゴの葉が早い時期に落葉したため、翌年の春先になってもリンゴの花が咲かず2年連続の大不作となった。

 

・この絶対絶命の危機を救ったのが、農薬だった。

記録によれば、日本のリンゴ栽培史上、初めて農薬が使われたのは明治44年。褐斑病の流行で、青森県のリンゴ畑が壊滅的害を受けた年のことだった。

 

・褐斑病で全滅しかけていたリンゴの木が息を吹き返すのを目の当たりにして、リンゴ農家は先を競って農薬を導入するようになる。ぺニシリンが結核という恐ろしい病を撲滅したように、手の施しようがなかったリンゴの病気を農薬が駆逐したのだ。

 

 病虫害という自然の脅威に対抗する手段を手に入れ、農家の人々はようやく安定したリンゴの栽培ができるようになったのだ。

 農薬がなければ、青森県でもリンゴ栽培が終息してしまっていたに違いない。

 

・明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村と同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だった。

 

1991年の秋に青森県を台風が直撃して、リンゴ農家が壊滅的な被害を受けたことがある。大半のリンゴが落果しただけでなく、リンゴの木そのものが嵐で倒れるという被害まで被った。県内のリンゴの被害額だけでも742億円にのぼる。ところが、木村の畑の被害はきわめて軽かった。他の畑からリンゴの木が吹き飛ばされて来たほど強い風を受けたのに、8割以上のリンゴの果実が枝に残っていたのだ。リンゴの木は揺るぎもしなかった。根が不通のリンゴの木の何倍も長く密に張っていたというだけでなく、木村のリンゴは実と枝をつなぐ軸が他のものよりずっと太くて丈夫に育っていたのだ。

 

・NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の収録のスタジオで、木村秋則さんにお目にかかったその日。住み慣れた「文明」というものを覆っていた厚い天蓋が外れ、どこまでも広がる深い青空が露わになった。

 

・あれから1年半。ノンフィクション・ライターの石川拓治さんが、木村秋則さんの人生を取材して1冊の本にまとめて下さった。頁をめくると、木村さんとお話しして得たすばらしい感触がよみがえってくるとともに、まだまだ知らなかった木村さんの側面をも知るよろこびに包まれる。

 

 不可能とも言われた無農薬、無肥料でのリンゴ栽培。その実現に向けて苦闘してきた木村秋則さんの人生は、まるで一篇のドラマを見るようである。

 

 

 

『地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと』

木村秋則   KKロングセラーズ   2014/3/28

 

 

 

<わたしたちの想像を超えた世界が存在する?>

17歳の時に、わたしは「龍」を見ています。この時、周りの時間も空間も止まったような体験をしました。

 時間の隙間に紛れ込んだかのようでした。

 時間も空間もわたしたちが「ある」と思っているだけで、それをはるかに超えた世界(次元)が存在します。

 死後の世界も同時に存在しています。

 わたしたち人間が、この地球の生命体として頂点に立っていると考えるのは、どんなものか?

 

<わたしの見た光景が地獄図絵の中にあった>

2歳のときに死ぬ予定だったのが生き永らえ、その後の人生で宇宙人や龍に遭遇するなど不思議と思われる体験を何度もしていますが、ひょっとしたら人に見えないものが見えるのは、地獄に行ったときに、頭の周波数のようなものが変わってしまったせいではないかと思います。

 波長が合わないと見えない。

 波長が合うから見えるのです。

 

 見えないものを見ることのできる人がいたから、地獄だって、龍だって天使だとかも絵になったり、彫刻になってさ。世界中の美術館に残ってるでしょう。見えないものを見ることのできる人は、世界中にいるんだ。

 

<気づいたときに大きなシャボン玉の中に包まれていた>

・大人になってから、もう一度死後の世界をさまよいました。

 インフルエンザから高熱を出し、下着一枚で電気毛布にくるまっていたときのこと、寒くて震えながらいつの間にか意識を失っていました。

 気がついたときには辺りに大きなシャボン玉がいくつも浮かび、いつの間にかその中の一つに包まれていました。

 室内で寝ていたのですから上にあるはずの天井がなぜか感じられず、そのまま3メートルほどの高さに浮かびあがって自分の身体を見下ろしていました。

 不思議なことに、横たわる自分の亡骸が、誰のものなのかわからないのです。

そのうちに女房が現れてわたしの身体を揺すっている光景を、ずっと「誰なんだ、あの人は誰なんだ」と思いながら自分自身を見下ろしていました。

 

<生まれ変わる人の列>

・その後も歩き続けて、6つ目の門をくぐると、肩まで髪の伸びた人が二人すっと現れ、「案内する」と申し出るのでついていきました。

 しばらくするとなだらかな斜面に家のような建物が無数に立ち並ぶ場所に出ました。

 どの家にも窓も戸もなく、一軒に一人ずつ、白いゆるやかな着物をまとった人が住んでいる様子です。

 そこで白い帯状のものが、はるか向こうの山まで糸のように続いているのを見ました。

 近づくとその帯は白い着物の人々が、ずらりと並んで、何かの順番を待っているのだとわかりました。

 列は一本の川から伸びていて、案内人のように見える肩まで髪の伸びた人が、二人、川に入っていました。

 列に並んでいる人はみな同じような顔で、自分の順番が回ってくると川に背を向けて立ち、案内人の二人によって川に流されていきます。

「何をしているんですか?」と聞くと、「生まれ変わる人たちです」という答えが返ってきました。

 

<「23回生まれ変わっていますね」>

・二度目の臨死体験には、後日談があります。

 一年ほどたったある日、わたしは講演を行っていました。話を終えたとき、わたしに会いたいという女性からの電話がかかってきたのです。

 時間に余裕があったので承諾をし、待つ間に駐車場で煙草を吸っていました。

 駐車場は車でいっぱいでしたが、車間の細い隙間を通して、一台の車が現れ、若い女性が降りるのが見えました。

 驚いたことに、一面識もないその女性は、わたしの居場所を知っているかのようにまっすぐこちらに向かって歩いてきたのです。

 彼女の側からはわたしは物陰に隠れて見えないはずなのに、不思議でたまりませんでした。

 

・さらに驚くことには、その女性は、わたしがシャボン玉に乗って浮かんで行ったとき、別のシャボン玉に自分も乗って一緒にあの世に行ったと言うのです。彼女はわたしの体験した一部始終をすべて知っていました。

 彼女は自分のことを「木村さんのあの世への案内人」と呼んでいました。

 わたしが自分自身を知らないということが、その女性がどうしてもわたしに伝えたかったことなのでしょうか。

 名前も連絡先も聞かなかった今では、知る術もありません。

 

・不思議な訪問者は、彼女だけではありませんでした。ある日ひょっこりとうちを訪ねてきた高齢の男性がありました。

 津軽弁の訛りがないところから、青森の人ではない様子です。ここは誰々の家ですか、と聞くこともなく、「ごめんください」と玄関を開けて入ってきました。

 たまたまわたしが出たのですが、お互いに一言も口にすることなく、無言のときが流れました。

 その人はわたしの顔をじっとみると、「23回生まれ変わっていますね」とつぶやきました。

 記憶が確かではないのですが、23回生まれ変われば、死んだ後に自分がやらなくてはならないことをたくさん背負っていると、そんなことを言われた気がします。

 その人は、「ありがとうございました」とそのまま帰ってしまいました。

 

・不思議な体験が、こうも重なり過ぎてしまい、「現在」も、「過去」も、「未来」も、わたしたちが、時間を区切って範囲を決めてしまっているだけで、本当は同時に存在していて、自由に行き来ができるのではないかと思うようになりました。

 

<わたしは、青森県弘前市に住むリンゴ農家です。>

・昨年、わたしの半生が「奇跡のリンゴ」という映画になって、全国で放映されたもんですから、道で会う人から「あっ!木村秋則だ」と呼び捨てにされるようになりました。

 

・リンゴ農家の常識では、リンゴの無農薬栽培は絶対不可能と言われています。ところが女房の農薬に弱い体質を少しでも楽にさせようと、リンゴの無農薬栽培を始めたばかりに、わたしのリンゴ畑は病気と害虫が蔓延し、荒れ果て、リンゴは一つも実らず、収入も途絶えて、家族を極貧の生活に陥れてしまいました。

 家族には大変な苦労をかけ続け、わたし自身も何度も挫けそうになりました。岩木山に登って、首をくくろうと自殺を考えたこともありましたが、10年あまりの歳月をかけて、世界で初めて、リンゴの無農薬栽培に成功したのです。

 誰もリンゴの無農薬栽培の方法は教えてはくれませんでした。

 

10年近くに及ぶ苦闘の末にようやく実ったリンゴは、2年経っても腐らない「奇跡のリンゴ」と呼ばれるようになりました。

 リンゴが実をつけてくれるようになったのは、「本当に大切なことは目に見えない」と気づいてからです。

 大切なものは、「目に見えない部分」にこそあり、そんな見えないものを見る心が、奇跡を起こす力になるのです。

 

<宇宙からのメッセージを聞く>

・わたしには、人に話してもなかなか信じてもらえない不思議体験がたくさんあります。

 それが「奇跡のリンゴ」に直接に結びついたとは思いません。でも、奇跡の一部を担ってくれたのは、宇宙のエネルギーだったのではないかと感謝しています。

 

<なぜなのか?わたしによく起こる不思議な出来事>

2013年だけでも、わたしはUFOに34回出会いました。どうしてなのだろうと、不思議でなりません。

 201311月中旬の夜7時ごろ、畑から自宅に戻ってトラックから降りたとき、空を見上げたら南方にUFOが飛んでいるのが見えました。

 

・わたしの家の周辺は、よくUFOが見える地域として有名なのです。このときのUFOはひさしぶりに見た感じでした。遠くで輝いていただけで、とくになにも話してくれませんでした。UFOはわたしに、なにかメッセージを発することもあるし、一瞬姿を見せるだけで、無言でさっといなくなってしまうこともあります。

 

<屋久島の出張先でもUFOに出会った>

2013年には、屋久島でもUFOに出会いました。

 

・このUFOはカメラで撮ることができませんでした。

 かなり激しく横と縦に90度の角度で動いていました。

周りにいただれかが屋久島空港に電話をして、「今、飛んでいる飛行機はありますか」と聞いたところ、1機もないということでした。

 このUFOもまた、なにかを伝えたかったのかなと思っています。

このときも会話をすることができませんでした。

 

<北海道仁木町で出会った二本の虹とUFOの不思議>

・今、わたしは北海道余市郡仁木町で、「自然栽培の塾」をやっています。

 

・「自然栽培」を広めるために、以前からわたしは地主さんたちに、耕作放棄地を貸してほしいと交渉しつづけてきました。

 その願いがかなって、わたしが訪れたその日、仁木町が耕作放棄地を協力しましょうということに決まったのです。

 決まったと聞いたそのときでした。真っ昼間だったのに、太陽を真ん中にはさんで、虹が太陽のすぐ両脇に2本、まっすぐに立ち上がったのです。ほんとうに不思議な気持ちでした。

 そして、この日の晩にもUFOを見たのです。

 

<ソクラテスのようなギリシヤの哲学者と夢の中で話したこと>

・リンゴ栽培の先行きがまったく見えず、日々の食べものにもこと欠くような生活をしていた頃のことですから、ずい分前のことですが、わたしはまったく口をきかなくなっていたことがあります。

 

・答えを求め続け、考え続けていたその頃、夜の畑で地球のものとは信じられないものを目にしました。月明かりの中、発光する丸太のような物体が、リンゴの木の間を高速スピードで移動して、突然消えてしまったのです。

 直感的に、これは宇宙人ではないかと感じました。

 

・畑に光る丸太を目撃した同じ頃、ソクラテスのようなギリシャの哲学者と会話する夢を見ました。

 

・さらに、何のカレンダーなのかとわたしがたずねると、「地球のカレンダーだ」と答えるのです。

 他には板はなく、「枚数を数えたね」と言われて、今動かした数を思い出しました。

 板一枚が一年を表すとすると、板がすべて終わったあとの地球はどうなるのかと思ったのです。

 それで「地球は後はないんですか」と尋ねると、「ない」との返事が返ってきました。

 

<UFOで宇宙人に連れ去られたことがある>

・それから畑で目撃した宇宙人に再び出会ったのは、リンゴがようやく生産できるようになった40歳のときでした。

 深夜にいきなり寝室の窓が開いたと思うと、黒ずくめの身体に二つの大きな目が輝く生物が二人、連れだって現れたのです。

 彼らはわたしの両脇を抱えると、二階の窓から外に連れ出してそのまま上空に上がって行きました。

 気がつくとUFOのようなものの船内に連れ込まれていました。

 UFOの中にはわたしと同じように連れて来られたらしい白人の男女がいました。彼らは裸にされて観察されていましたが、わたしは観察されることなく、宇宙船の操縦室のような部屋に連れていかれました。

 宇宙船の内壁が、彼らが手を触れるだけでガラス張りのように透明になるのを目撃して、あっけにとられました。

 

・この動力物質を、彼らはKと呼んでいるように聞こえました。

彼らの説明では、地球人が知っている元素は120くらいで、そのうち使っているのは30にも満たない、けれども「我々は256の元素をすべて使っている」とのことです。

 地球人を極めて低能と言わんばかりでした。

 宇宙人は、Kのことを「永久エネルギー」と呼んでいました。そして、「その物質は地球人には作れない、頭が悪いから」と、ちょうど人間が猿を見下げるような感じで話しました。

 下等生物扱いはされましたが、彼らが熱を持たないエネルギーを取り出す方法を持っていることは確かです。

 彼らは熱のない、光だけは存在する世界に生きているのでしょうか。

 光そのものが彼らのエネルギーだったのか、それはわかりません。

 

<地球のカレンダーはあと何枚も残っていない>

・宇宙人にカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。宇宙人からも、そして夢からも地球がなくなると告げられた、その問題の日。それがいつなのかは、しっかりと覚えていますが、人に言ったことはありません。

 もし、わたしがそれを口外したら、大変なことになると思うからです。だから、地球がなくなる日を一日でも先に伸ばすために、わたしたち地球の住人はなにをしなければならないのか。それを優先して生きていかなければとわたしは思うのです。

 

<宇宙人は「木村は今、なにをしているのか」を見ているのかな>

・しばしば宇宙人と遭遇したという話をするためか、きっとわたしが宇宙人にお願いして力を借りているのだろうと言う人がいます。

 でも、そうではありません。

 奇跡と言われているリンゴ、コメ、野菜などの「自然栽培」に成功したからといって、わたしはこれまで、天や神仏や宇宙人などのお願いしたことはないのです。

 あの、自殺しようと岩本山をうろついたときだって、「リンゴが一個でも実ってくれるように、答えを教えてくれませんか」とは言いませんでした。

 わたしが宇宙人を何度も見た、というのは事実です。

 でも、宇宙人にわたしがなにか願いごとをしたことは、一度もないのです。

 逆に、彼らは、「木村は今、なにをしているのか」を見ようとして来ているのかもしれません。

 すぐ近くの星から彼らは来ているのではと、感じることがあります。

 

<奇妙な体験が、脇目もふらずに働く原動力>

・ソクラテスの夢の中で、そしてUFOの中で、わたしは地球のカレンダーが終わる日を確認しました。

 でも、それは気が遠くなるほど未来の話ではありません。

 

<肥料のガス化がオゾン層を攻撃し生態系を破壊>

・このようなフロンガスへの取り組みは、期待したほどの効果はなかったのです。さまざまやってみても、まったく大気汚染が修復されていないのです。

 米国大気圏局の研究者は、それについて本格的な研究調査をしました。その結果、世界中の農家が使用している肥料、とくに亜酸化窒素が原因だということが判明したのです。

 

<今という瞬間を感謝し、自然のままに生きる>

・わたしは、無農薬はすばらしい、無肥料はすばらしいということを言っているわけではありません。

 無農薬でも無肥料でもできるのだから、今使っている農薬や肥料をせめて半分にしても、農業はできるだろうと提言しているだけなのです。

 

<農薬・肥料・除草剤はいらなかった>

・私が提唱する農業は、農薬・肥料・除草剤をまったく使わない栽培法です。

 

・簡単に言えば、わたしの提唱する自然栽培農法の根幹は次のようなことです。

 

1.まず、大豆を植えなさい。

2.それから、野菜などの作物を育てなさい。

3.そして、雑草を育てなさい。

4.結果、雑草は邪魔物ではなく、土を作る基礎になります。

 

現代農業は、土を作るという大きな作業をしてこなかった。

 

18世紀末にゲーテによって示されていた農法>

・「大豆を植え、野菜を植え、雑草を育てなさい。そうすれば、永遠に農業は可能である」

 このゲーテの言葉こそ、わたしがこれまで自分で悪戦苦闘してきた自然栽培の原点だったのです。その哲学がすでに18世紀の終わりに示されていました。

 

<わたしもそれが当たり前だと思っていた>

・リンゴは農薬で作ると言われるほど、栽培には農薬散布を欠かすことができませんでした。わたしの一家の収入はリンゴが頼りでした。

 リンゴの害虫は30種を下らないと言われています。

 虫食いのない、甘くて、大きなリンゴを作るには、青森県で発行されているリンゴ用の防除暦を使わなければなりません。時期ごとに散布すべき農薬と濃度が設定されており、その使用すべき農薬の容量といったら大変なものでした。

 

・妻は農薬の臭いで吐き気をもよおすほどで、散布中に畑で倒れたこともあります。その症状がだんだんひどくなっていったのです。

 妻の健康を考えると、農薬を防除暦通りに使うことができなかったのです。

 

<ムシが1匹、2匹出たら、すぐ農薬をまく農業はおかしいのでは>

・一般の農家が殺虫剤もなにも使わなければ、リンゴの場合、90%減収するそうです。

 青森県のようにリンゴが基幹産業のところでは、「農薬なしに、リンゴは生産できない」というのは間違いではありません。

 でも、リンゴ以外のイネや野菜などは、30%程度の減収で済みます。

だから、わたしが言いたいのは、ムシが1匹、2匹出たからといって、すぐに農薬をまいてしまう現在の日本の農業は、おかしいのではということです。

 

<日本の農薬使用量は世界一>

・リンゴ栽培は、昆虫、カビ、ウィルスなどとの闘いで、防除暦に従ってやれば、それらの悩みから解放されるのはだれでもわかっています。

 でも、それには大量の農薬を散布する必要があり、人体へのリスクがあるのです。その大きなリスクを背負って栽培しなければならない。

 リンゴ栽培の歴史は、ムシと病気との絶望的な闘いだったのです。

「本当に現代農業は、リスクを背負わなければやっていけないのか」

 わたしの自然栽培は、そんな疑問からのスタートでした。

実は、日本での農薬使用量は世界で一番多いのです。

除草剤の使用量もまた、世界一です。

 

 

 

『木村さんのリンゴの奇跡のひみつ』

植物と会話し、宇宙人と語る不思議な男の物語

小原田泰久   学研パブリッシング  2010/3/23

 

 

 

<宇宙人>

<人を幸せにする木村マジック>

・すべてのものに魂は宿っているんだ。

 

・何しろ、木村さんは、11年の歳月をかけて無農薬・無肥料でリンゴを栽培するという偉業を成し遂げるまで、私たちの想像を超える苦労をしてきた人だ。

 

<木村少年、龍との遭遇>

・紙とペンを持ってきて、スラスラと絵を描きながら不思議体験を説明する木村さん。龍との遭遇、UFOや宇宙人とのコンタクト、あの世への訪問など、一晩がかりでも語り尽くせないほどの体験談がある。

 

・「2本の松の木は、今では太くなっているけど、当時はすごく細かったな。龍は、どちらかの木の上に尻尾で立ったのな。上を向いてまっすぐに立った。松の木よりも長かったな。

 私がよお、面白いなと思ったのは、あんなでかい龍が上に乗っているのに、松の木が揺れないことな。だから、私は、みんなにいっているのな。龍の重さはゼロだって」

 しばらく、松の木の上にいた龍は、そのまま空高く飛び去った。我にかえった木村少年は、あのストップしてしまったおじさんはどうしただろうと、道路の向かい側を見た。すると、何事もなかったように、おじさんは歩き始めていた。

 

・いったい、何が起こっていたのだろうか。

 木村少年はそのとき、時間の流れが、通常の何千分の一、何万分の一という世界の中に入り込んでしまったのではないだろうか。だから、おじさんは止まってしまったし、普段は、猛スピードで動いているために人間の目には見えない(だろうと思う)龍の姿も見ることができた。そんなことがあり得るのだろうか。でも、そう考えるしか説明のできない現象だ。

 

<妖精と話す子どもたち>

・木村さんは、両親から見えない世界を否定するような大人になる教育を受けていなかったようだ。だから、常識という枠を超えてものを考えることができた。そして、さまざまな神秘的な体験をすることになるのだ。

 

<座敷わらし、光の乱舞、龍との再会>

・岩手県には、その旅館だけでなく、何軒か座敷わらしに会える宿があるのだそうだ。そして、どの旅館でも、座敷わらしに会った人には幸運が訪れているという。

 東北というのは、こんな話が似合う場所である。柳田國男の『遠野物語』とか宮澤賢治の世界が、東北の根底には流れている。

 私には、座敷わらしの話を単なるファンタジーとして片づけることができない。光を見たとか、写真に写ったという話があるけれども、この章の冒頭にも書いたが、私も青森県の種差海岸で、宙に光の粒が飛び交っているのを何回も見ているからだ。

 

・キリストの墓もある。『東日流外三郡誌』と同じようにウソだ本当だという議論を呼んだ古文書『竹内文書』には、キリストのことが書かれている。ゴルゴダの丘で殺されたキリストは偽者(弟のイスキリ)で、本物は津軽の地へ逃れてきて、ここで亡くなったというのだ。この墓があるのが戸来村(現在の新郷村)で、戸来はヘブライ(イスラエル民族)に通ずるというのも、ひょっとしたらそんなこともあったのではと興味をそそられる。

 

・そして、下北半島には恐山がある。死者の霊を呼ぶ口寄せはよく知られている。そのせいか、青森県には霊能者が多い。「青森の神様」と呼ばれている木村藤子さんのように全国的に有名になった霊能者もいれば、まだ名は知られていないけれども、地元では知る人ぞ知るというすごい力をもった霊能者がいるんだという話は何度も聞いた。

 

<おむすびとリンゴの奇跡>

・青森県ということで、もうひとり紹介したい人がいる。

 木村さんの畑から、岩木山神社を右手に見て車を走らせ、しばらくして左手に折れると湯殿という温泉場があって、その一番奥に、「森のイスキア」という癒しの家がある。ここの主は、佐藤初女さんという80年代後半の女性である。初女さんのもとへは、悩みを抱えた人がたくさん訪ねてくる。

 

・初女さんの代名詞のようになっているのが“おむすび”である。

 

・「私が自然栽培をしてきて感じるのは、すべてのものに魂があるということです。仏教でもそう教えているはずです」

 

・木村さんは無農薬・無肥料でリンゴを育て、米や野菜も同じように栽培する方法を指導している。そのため、農薬批判の旗頭という見方がされている。しかし、木村さんは農薬を頭ごなしに批判しているわけではない。逆に、病気や虫で苦労した分、農薬のありがたみを知っている。農薬を使っていれば、葉っぱが一枚落ちる音にオドオドする必要はなかった。手で害虫をひとつひとつ取る作業もしなくてすんだ。そして、あんな極貧の中で苦しむこともなかったのである。

 

<畑に現れた謎の光>

・目をこらして見ると、その光は人間のような形をしている。それも、宙に浮いて、すごい速さで畑を移動している。

 

・それ以来、木村さんは自宅の庭で何度もUFOを目撃している。

 畑で奇妙な光が走り回っている直前にも、UFOらしき物体を目撃した。夜、外に出たら、空にフランスパンみたいな物体が浮かんでいるのが見えたのだ。

 

・その飛行物体は、遠くの空に1メートルくらいに見えたという。雲が下を流れていたというのだから、かなりの高度である。それでその大きさに見えたという。雲が下を流れていたというのだから、かなりの高度である。それでその大きさに見えたのだから、ジャンボジェツトなど比べ物にならないほどの巨大な物体である。

 

<ネコのような目をもつ人らしき影>

・「なんで目が覚めたのかわからない。目が覚めて、ふっと外を見たのな。そしたら、畑で見たあのふたり。やっぱり、目がぎょろっと光っていた。4つな。だから、ふたりだと思う。2階なのに、あいつらは宙に浮いているのな。はしごなんかなかったのにな」

 まるで金縛りにあったみたいに体は動かず、声を出すこともできなかった。

 ふたつの影が窓に近づいてきた。すると、鍵のかかったサッシが、自動的に開いたのだ。さすがの木村さんも、その瞬間は、何が起こっているのか、冷静に分析することなどできなかった。

逃げようとしたが体は硬直してしまっている。

「そのふたりは、私に近づいてきて、拉致するみたいに、両脇をもって、外へ連れて行こうとするのな。もがこうとするんだけど。すごい力だから身動きができない。そこで、記憶が途切れてしまったな」

 

・気がついたら、木村さんはベンチに座っていた。公園にあるような板張りの粗末なものだった。大きな建物の中らしかった。静かで音はまったくなかった。木村さんは、右横にふたりの人間が座っているのに気がついた。奥にいるのは男性で、アメリカの海兵隊員のように見えた。若くて刈り上げた頭が印象的だった。その隣、木村さんと海兵隊員らしい男性の間に座っていたのが、金髪の若い女性。髪の毛が長かった。

 

・やがて、木村さんを拉致したふたりの宇宙人が姿を見せた。そして、無言で、最初に海兵隊員、次に金髪の女性を、両脇に抱えるようにして連れて行った。

 次は自分だなと、意外と冷静に状況を判断していた木村さんだったが、なかなか迎えが来ない。

「ちょっと退屈になって、窓があったので、椅子にのぼって外を見てみたのな。そしたら、竪穴式住居がいっぱい並んでいるみたいな感じで、光がずらっと見えたのな。マンションかアパートなのかなと思いながら見ていたら、例のふたりがやってきて、私を両側から抱えたのな」

 

・そして、そこから記憶が空白になり、気がついたら拉致されたときと同じようにふたりの宇宙人に両脇を抱えられ、自宅の2階の窓の外にいたという。そして、彼らと一緒に部屋に入ったかと思うと、宇宙人の姿は消えていた。そのまま眠りにつき、目が覚めたときにも、記憶ははっきりと残っていた。

 

<アブダクション経験者は38500万人>

・そして、また別の調査によると、ちょっと驚きだけれども、世界中のどこでも人口の約5.5パーセントがアブダクションを体験している可能性があるというのである。

 

<宇宙人の存在は地球人の価値観を変えるのか>

・私は、「ムー」という雑誌に木村さんのUFO体験を書いた。そこには、木村さんが描いたUFOのイラストも掲載した。それを見たひとりの知り合いが、自分もあれとよく似たUFOを見たことがあるんだといい出した。

 

<「あの世」で出会った「この世」の女性>

・UFOや宇宙人との遭遇はなかったが、木村さんは再度、神秘体験をすることになる。

 7年ほど前、リンゴも順調に実るようになっていたころの話だ。

 ある日、木村さんは体がだるくなって横になったところ、そのまま意識を失ってしまった。大変な高熱だったらしい。半日ほど、木村さんの意識は戻らなかった。

 目が覚めたとき、木村さんは、「あの世へ行ってきた」と感じたという。意識を失っている間のことが、記憶に鮮明に残っていたからだ。

 

・木村さんの最初の記憶は、上からフワフワと降りてくる大きなシャボン玉だった。何だろうと思っていると、吸い込まれるように、その中に入ってしまった。そして、木村さんを乗せたまま上へ上がって行くと、3メートルほど上がっていったん止まり、またすぐに上がり出した。まわりをキョロキョロみると、ずっと向こうに女性らしき人がふたり、同じようにシャボン玉に乗って上がって行くのが見えた。

 この後、木村さんはあの世らしき世界を旅することになるが、三途の川や花畑があって、懐かしい人に会えるという世界ではなかった。

 

・ここから時間を先送りして、驚きの結末、後日談を先に紹介しておきたい。

 意識を失った数か月後のこと。木村さんの講演会が横浜であった。講演の前、ひとりの女性から会場に「お話ししたいことがあるので、講演が終わったら会いたい」と電話が入った。約束どおりに木村さんがロビーで待っていると、若い女性が声をかけてきた。そして、驚くべきことを、木村さんに伝えたのだ。

「ひととおりの身の上話をした後、こういったのな。『シャボン玉のようなものに乗りませんでしたか。ふたりの女性が見えたと思います。そのうちのひとりが私です。私は、あなたの案内役です』ってな」

 あのときの出来事はだれにも話してなかった。まったく初対面のその女性が知るはずのないことである。木村さんは歯のない口をぽかんとあけて、その女性の顔を見た。

 以来、その女性と会うチャンスはない。

「きっと、本当に死んだとき、あの人が案内してくれるんだろうな」

 美人で良かったと、木村さんは大きな声で笑った。

 

・話を戻そう。シャボン玉のあとの記憶は真っ暗闇の中だった。木村さんは、糸で引っ張られるように、方向もわからないまま歩いていった。砂の上を歩いているような感覚だった。しばらく暗闇を歩いていくと、急に明るくなって大きな門が見えてきた。門をひとつくぐり、ふたつくぐりして、結局は6つの門をくぐった。最後の門をくぐると、髪が長くて白いワンピースとドレスを着た男性か女性かわからないふたりが待っていた。シャボン玉の女性ではなかった。

 

・ふたりの後をついていくと、窓も戸もない家がたくさん並んでいる場所に出た。そこには男か女かわからない人がひとりずつ住んでいた。「背中を横切ってはいけない」と、木村さんの心に響いてくる声があった。

 はるか遠く見ると、山があって、その麓に白い糸が見えた。なんだろうと思ったら、すぐにその場所に瞬間移動した。白い糸に見えたのは、たくさんの白い服を着た人の行列だった。みんな、土に足をつけず、すーっと音も立てずに移動していた。

 行列の先には川があった。順番がくると、その川を仰向けになって流れていく。「この人たちはどこへ行くのか」と心の中でたずねたら、「生まれ変わり」という声が聞こえてきたという。

 

•次の瞬間、木村さんは最初の門の所に立っていた。

「門を出たり入ったりしていると、ものすごい音の地鳴りがしたのな。地震かと思ったら、だれかに自分の名前を呼ばれた気がして、あれっと思ったら、シャボン玉に乗っていたのな。帰りは早かったな。自分が寝ている姿を3メートルくらいの高さから見て、その後、重なるように自分の体の中へ入っていったな」

木村さんは生還した。

 

<宇宙人にもらった丸い玉の正体>

・UFOの話に戻る。木村さんは、帰されるときに、丸い玉をもらった。木村さんの著書『すべては宇宙の采配』(東邦出版)では、その丸い玉をもった木村さんが表紙になっている。実際には、朝、目覚めると丸い玉は消えてしまっていたが、その玉には、何か重要なメッセージがあるように思える。

 

<UFOの中で見た地球のカレンダー>

・畑でふたりの宇宙人に遭遇したしばらく後のことである。リンゴが実らず、極貧の中で苦しんでいた時期だ。木村さんは、幻想とも思える不思議な感覚の中で、ソクラテスを思わせるような老人と出あった。体に白い布を巻きつけ、あごに髯をたくわえていた。

「待っていたよ。手伝ってもらいたいことがある」

 

・「終わった後、『これは何ですか?』って聞いたのな。そしたら、『地球のカレンダーです』っていうのな」

 木村さんは、これは地球の終わるまでのカレンダーだと思って、「これで全部終わりですが、あとはないのですか?」と聞いたそうだ。そしたら、「ありません!」という答えが返ってきた。ああ、これだけの年数で地球は終わるんだと思ったときに、木村さんは目を覚ましたという。

「マヤ歴が2012年で終わっているといわれているけど、あれよりは長かったな。でも、地球は永遠に続くと思っていたから、意外に早く結末が訪れるんだなと驚いたことは覚えている。その枚数はだれにもいってはいけないといわれているので、どんなことがあってもしゃべらないけどな」

 その後、UFOに連れ去られるという大事件があるわけだが、そのときにも、木村さんは地球のカレンダーを見せられている。ソクラテスのような人に見せられたのと同じ年数だったという。

 

・木村さんは、想像を絶する苦労を経て成功させた無農薬でのリンゴ栽培から、さまざまな教訓や知恵を得た。そして、さらには、UFOや宇宙人、あの世という神秘的な世界にも触れて、世の中が物質だけでできているのではないということを、身をもって知らされた。

 

<無農薬農法が病気を広めた?>

・話は20年以上も前、1989年のことになる。Eさんは、隣の畑の持ち主であるYさんから訴えられた。これをリンゴ裁判と呼んでいる。

 

・そんなこともあって、ほかの農家は、Eさんが農薬を散布しないから黒星病が広がったとEさんを責める行動に出た。防除組合からも農薬散布を要請する文書が届き、組合員の署名も集められた。彼らは、Eさんが農薬を散布しないために発生した黒星病の「被害者」だった。その被害者代表として、隣接する畑の持ち主であるYさんが175万円の損害賠償を求めて訴えたのである。

 Eさんが農薬を使わなくなったのは、健康被害があったからである。

 

<裁判で認められた「農薬を使わない自由」>

・この裁判は決着がつくまで3年の月日を要した。結果は、痛み分け(和解)だった。次のような和解文が裁判官から読み上げられた。

「YさんとEさんは今後お互いの農法を尊重しながら、より良いリンゴ栽培技術の確立のために努力し、Yさんの土地の境界から20メートルの範囲を緩衝地帯として、緩衝地帯ではEさんはリンゴ以外の果樹を栽培する。Yさんも出来る限り低農薬栽培の実践に努力する」

 

・リンゴは農薬を使わないと育たないというのが絶対ともいえる常識だったのはすでに述べた。そして、リンゴ農家の人たちは、病気が発生すればどんどん広がっていって地域全体が全滅すると信じ込んでいた。長年、そう教え込まれてきたのだから仕方のないことである。

 

・「逆に、無農薬で大変な苦労をしたから、だれよりも、農薬のありがたみがわかるのな」木村さんはしみじみと語る。私は、何もいわずに、木村さんの話を聞き続けた。

「だけど、農薬や肥料は、やがて世の中から必要がなくなるものだと思うな。青森でリンゴの売上げが2000億円なのに、農薬にどれくらいのお金を使っていると思う?大学の試算で900億円、全農だと1200億円も使っているわけだ。これでは採算のとれる農業ができるわけがない。使わなくても収穫できるものなら、それに越したことはないと、だれでも思うよな」

 

・「だから、UFOや宇宙人の話も、話すことを反対したり、誤解する人もいるけれども、私はどう思われたっていいのな」

 

・「私にとっては、無農薬・無肥料でリンゴを栽培したりしたことも、宇宙人らしきものに出あったり、あの世らしきところを見てきたのも同じ真実だから」

 

<不可能を可能に変える男・木村秋則>

1個のリンゴも実らない時期が何年も続いた。半端な苦しさではなかった。それを思い起こせば、こうやってリンゴがなってくれていること自体、どれほど幸せなことかわからないというのだ。

 

・彼らは、無農薬・無肥料でリンゴをつくるという、今までだれもできなかったことに長年挑戦しつづけていた。それが原因で、夫は、まわりの人たちから「カマドケシ!」と中傷され、妻はそんな木村さんを縁の下で支えてきた。

 

・ヨーロッパでリンゴ栽培が始まって200年。日本で120年。リンゴは、農薬や肥料がないと育たないというのが常識だった。それをひとりの男が、11年の歳月をかけて覆したのだ。大変な苦労があったのは当然のことだった。カマドケシというのは、津軽の方言で破産者のことをいう。人を蔑む最低の言葉である。

 

 

 

『天国はここにあり  新 天使クラブへようこそ』

 山川紘矢    ダイヤモンド社    2010/6/18

 

 

 

 <私たちが体験できる最も美しいものーぼくが「天界」に行ったときのこと>

・さて、いよいよ夢の中で、ぼくが天界に行ったときのことをお話ししましょう。

 

・トイレの壁をぼんやりと見ていたのですが、そのトイレの壁がスーッと動いてゆくではありませんか!「あれって」と思っているうちに、ぼくの体をトイレからスーッと、どこかへ運ばれていったのです。

 

―そこはもう、広々とした別世界でした。全体が明るい水色の世界で、白いギリシャ風の柱が立っている大広間みたいなところに着きました。

  そして何人もの白いローブのようなものをまとった人たちが三々五々、楽しそうに談笑しているのです。中には竪琴を持った人もいて、天界のようでした。

 

・ぼくはズボンをおろしたままの姿ですから、すっかりあわててしまい、ひざを少しまげて前を隠していました。

そこにいる人たちは、おしり丸出しのぼくを見て、みんなして楽しそうに大笑いをしているのです。声は聞こえませんでした。テレパシーの世界のようでした。

  ぼくははずかしくて、やっとズボンをたくしあげたのです。ざわめきが一段落すると、向こうのほうから、とても威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性が現れました。ぼくに会いに来たようです。

  彼はぼくの顔をじっと見つめました。その目は、慈愛に満ちているという表現がぴったりです。しかし、なぜかぼくに同情するような顔つきでした。

  ほんの何十秒間のことだった気がします。ふと気がつくと、ぼくはベッドの上に座っていました。トイレに入っていたのも、現実のことではなかったのです。

 

あのレオナルド・ダ・ヴィンチのような方は、誰だったのか、あれはいったい、何の体験だったのかー。今でも忘れることができません。

 

・それから、ぼくはひどい病気を3年間やりました。先ほども書きましたが、ゼンソクです。そのために、とうとう公務員を辞めなくてはならなかったほどでした。発作が起こると動けなくなるのです。いつもベッドの上でうめいていました。

 

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