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第三と第四の界層は、この世を鏡に映し出したような所だ。私達の大部分が死後そこに住むことになるだろう。そこには、山、川、谷、海もあり、私達がこの世で美しいと思ったものは何でもある。(1)

 

 

 

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

 

 

プロのミディアム(霊媒)

・私は物心つかないうちから常に霊界とともに生きてきた。プロのミディアム(霊媒)となって、25年以上経つ。霊界のために仕事ができて光栄だと思う一方、私は、この仕事に大きな責任を感じる。

 

・私の目的は、霊界とのコンタクトによって、愛する人と死別して悲しんでいる人を慰めること、苦境に立つ人を元気づけることだ。

 

私は、英国スピリチュアリスト協会のミディアム(霊媒)の試験に合格したのち、ミディアム(霊媒)としてだけではなく、オランダでオペラ歌手として働いた。

 

・死後の世界である霊界のことや霊的な真理について、霊界とのコンタクトを、実例を挙げながら、分かりやすく説明しようとした。

 

・イギリスでは、スピリチュアリスト教会が至る所にあります。普通の教会と同じように自由に誰でも参加できます。

 

・プロのミディアム(霊媒)の本として、ドイツでベストセラー、ロングセラーとなった。

 

・イギリスだけでなく、アメリカにも大勢の優れたミディアム(霊媒)がいます。そして、もちろん日本にも。

 

 <スピリチュアリスト教会> 死後の生命存在を実証するために、ミディアム(霊媒)が死者たちとコンタクトをとり、メッセージをもらう集会をする教会。

 

英国スピリチュアリスト協会(SAGB

SAGBと呼ばれる英国で有名な団体。130年の歴史がある。前身はメアリールボーン・スピリチュアリスト協会という、12人の知識人によってはじめられた。その中にはシャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナンドイル卿もいる。ミディアム養成のための様々なクラスもある。

 

 <著者の子供時代に病気の時の死後体験でみた霊界>

 <カラフルなインディアンの訪問者>

・何日もの間、私は隔離されて、病院の小さな部屋にいた。毎日、医者たちが回診に来た。

 

・薬は眠りを誘うものだったに違いない。なぜなら、私は、眠ってばかりのようだったからだ。そして、切れ目なしに夢を見ていたのか、霊視だったのか、今となっては確かではないのだが、各国の子供たちが大勢でベッドのまわりで、踊ったり遊んだりするのを何回も眺めたことを覚えている。他にもたくさんの訪問者があった。その中に何年か前、バイオリンを習えなかった時に慰めてくれた“真っ白な衣装を着た女性”もいた。

ほぼ毎日ある訪問者の中に“カラフルなインディアン”がいた。彼は来ると決まって私を寝かしつけてくれた。眠くならないときには、半分眠っているような夢心地になった。

 

<霊界には夜がないし、眠る必要がない。>

・ そこには夜のようなものがない。私達は、眠る必要がないのだから、休息や細胞組織の再生を必要とする物質の身体がないのだ。それに、ここ地上にいるとき時は違って、太陽や月に支配されて生きているのではないから、時間に制限されない。

 

・ 魂の集団全体が霊界で完全に揃うまで待つのである。地上は多くの魂にとって最大の学校であるが、霊界でも魂は学び向上するための無数のチャンスがあるというのだ。

 

 <あなたが人生を選ぶ>

・ もっと高次元の進歩を遂げた魂のことを、私達は、霊的な教師と呼んでいる。霊的な教師は、悟りを開く準備が整い、進歩を熱望する者たちをいつでも助け、指導する用意がある。喜んで未熟な魂たちの手助けをして、さらに道案内してくれるのだ。霊界の生活は大部分の魂にとってこの上もなく心地よいものである。霊的な進歩という点から、そこで多くのことを得ることができる。

 

・ しかし、霊界であまりに長く過ごさず、この世に転生する例外的なケースもある。この世でのほうがある特殊なレッスンのために都合がいいというケースだ。戦争や災害で魂がこの世でのレッスンを完了しなかったということもある。

 

・まず、生まれ変わる、つまり転生するのは自分の選択で、私達の自由な意思である。ある期間を霊界で過ごしたあと、私達は、自分の限界に気づき、もっと進化したいと思うようになる。その時、より高い界層からの指導と霊的な教師の手助けによって、この世での新しい人生を計画するのだ。そして、霊界の潮流から押し出され、この世に戻ってくる。

 

 <霊界を思い出すことが重要>

・死と再生の循環にも終わりがある。この世で必要なことをすべて体験し、習得したときに、自由のきかない肉体をまとうことをもはや望まず、霊界にいる状態に満足したとき、その時こそが、霊界のより高い界層を昇るときである。霊界には豊富な知識や知恵を得ることができる界層が数多くある。

 

 <前世は知らないほうがいい>

・ 人の魂は、みな進化と発展の途中であるということを理解して欲しい。私達は、みな過去において生き延びるためにあらゆる手段を使って戦ったのだ。だから、「私達がこの世に生まれる際に過去のあらゆる記憶は、自動的に消去される」という宇宙の法則は、ありがたいものである。体験したことを全部覚えていれば、いたたまれない人もいるだろう。

 

 <輪廻転生>

 <人生という舞台>

・新しい人生が地上で始まるとき、私達の魂は、新しい肉体に宿る。新しい脳、初めて抱く感情・・・。新しい身体は、明らかに前世の身体とは何の関係もなく、新しい脳も前世の脳と何の関係もない。生まれる前に霊界で過ごした時の記憶もない。

 

・ 例外として、前世のぼんやりした記憶や出来事のかすかな部分を思い出す人々もいる。子供の中にはそういった事を話す人もいるが、地上での年月が経過するにつれ、そういう記憶も薄れて、はっきりしなくなる。この情報や記憶力は、魂から来るのでしょう。意識や潜在意識から来るのではない。

 

 <霊界で過ごす時間>

・ 「魂は、次にこの世に生まれるまで霊界でどのくらいの時間を過ごすのか?」は、よくある質問だ。それぞれのケース(それぞれの魂)で違っており、決まった期間というものはない。

 

私達は、みな「カルマに基づく魂の集団」家族と呼んでもよい集団とつながっていることを改めて理解してほしい。私達は、偶然この世に生まれるわけではなく、魂の成長のために生まれるのだ。

 

・ 霊界には時間が存在しないという事実から私達が、霊界で実際に次の生まれ変わりまでどれくらい時間があるのかの答えを出すことは、困難だが、一般的には地上の時間で、約150年から200年、霊界で過ごすと言っていいだろう。

 

この世では、日数や季節で、春夏秋冬で時間を数える。しかし、霊界にあるのは光のみ、多くのスピリチュアリストが、霊界をサマーランド(常夏の地)と呼ぶのはこの事実による。

 

 

 

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

 

 

<霊界には7つの界層がある>

・霊界には7つの主要な階層があり、各々はさらにいくつかの階層に分れていて、お互いに重なり合ったり、複雑に混じり合っている。そのほかに、人が死によって肉体を捨てアストラル体になった時、霊界に適応するまで休息するための階層もある。

 

 <第一の界層>、最下層では波動は極度に低く、私たちが普通考えるような生命と言うようなものは、存在しない。邪悪の思考が渦巻く、光の届かない世界。地獄のようなという形容が当てはまるだろう。

 

 <第二の界層>、この世で他者を苦しめ続けた人間は、この界層に行く。向上するには、多くの転生を繰り返す必要がある。それにはこの世の年月で数千年もかかることがある(だが、どんな魂にも進化のチャンスがあることを忘れないでほしい)。

 

 <第三の界層>、第三と第四の界層は、この世を鏡に映し出したような所だ。私達の大部分が死後そこに住むことになるだろう。そこには、山、川、谷、海もあり、私達がこの世で美しいと思ったものは何でもある。

 物欲で生きた人たちは、大体において、第三の界層に行く。この世で頑張って働き、人生を楽しんだ。他者に危害を加えたわけではないが、他者のために特別いいことをしたわけでもない。つまり、平均的な人たちだ。また、他者のことは考慮せず、少し自己中心的だった人や、霊的なことなど考える余裕さえなく、お金やものを所有することしか頭になかった人もそこに住む。自分たちの上に高い階層があることを気づこうともせず、自分の枠の中しか知らない。周囲も似たような考えの人たちばかりだ。だが、多くの魂がこの界層内で進化を遂げる。中には、一つ上の界層に昇るものもいるが、一般的には、この世への転生の計画を立て、実行することを目下の目標とする。

 

 <第四の界層>は、第三の界層よりも美しく明るい。ここにいる人は、霊的にさらに進歩している。学びや進歩を自ら求める。この界層の中ほどにいる人は自分の限度に気づいているので、高い界層から降りてきた霊たちは彼らのために喜んで手を貸す。

 

 <第五の界層>は、まさしく楽園と呼ぶにふさわしいところだ。何もかもが、美しく光り輝いている。完璧さを目指して努力した人や、霊的に高度に進化した心優しい人もここに住む。美術や芸術など、霊感を使って技を極めた人たちもこの界層にいるが、彼らは自分たちの仲間と一緒にいる。

 幼児や赤ん坊は、ここで天使に相当する霊たちが、面倒を見る。この霊界の住民は、自ら波動を低い波動に調整することによって、下の界層にいる家族や友達を訪問できる。

この界層の上のほうには指導霊や教師の役割のある霊が住み、第六の界層から降りてきた師から教えを受ける。霊的に極めて進化した人も死後そこへ行くが、普通、そこに達した人は、もうこの世に生まれ変らない。彼らはそこで学び、教える目的で下の界層を訪れたり、霊的に向上したいと願うこの世の人たちを指導したり、助けたりする。地球の年月で、千年かそれ以上、そこで過ごす者もいる。

そして、この界層で、最上部で次の界層に昇る準備ができたものは、二度目の死を体験する。単に横になり心地よい眠りに入るのだ。非常に繊細で明るく輝いていたアストラル体をそこに脱ぎ捨てる。

 

 <第六の界層>で、彼らは、自らを愛する。そのとき、彼らは、エーテル体と呼ばれる。私達の目にはまぶしい光でたとえようもないほど美しく明るい姿になっている。この界層にいるものは、天使のような存在で、その高貴な美しさをどう形容したらよいかわからない。

 

 <第七の界層>は、神そのものである。そこには個々もなく、神の意識と完全に一体となる。霊がそこに到達するのに、どれだけ時間がかかるのか私には見当もつかない。

 

<4階建ての家>

・人は4階建ての家に住んでいるようなものだと私はよく思っている。しかし、大勢の人が地下室で暮らし、自分たちの上により明るくて暖かで素敵な部屋が4階もあることに気づいていない。

 この人々にとっては上の4階は存在していないのである。存在を知っている者がいても、閉まっているので入れない。彼らは階段をまだ見つけ出していないのである。地下室と1階の両方に満足して住んでいる人もいる。人生を送るうちに、上のほうからもれている小さな光を見つけるかもしれない。

 一旦霊的に目覚めさえしたら、ドアは開かれ、錠ははずされる。ドアは再び閉められるかもしれないが、鍵がかかることはないのだ。ということは、そっと押せばいつでも開くのである。

 

・あなたの家の鍵、全部の階の鍵は、あなたの中にある。外の世界に見つかるのではない。内面の世界に入って初めて自分の真実の霊的本質がわかるのだ。自分の家の階上にある部屋のドアを開けて、光を入れることによって、私たちは本当の意味で光の中で生きることができるのである。

 

 

 

『人生に無駄はない』 私のスピリチュアル・ライフ

江原啓之   新潮社     2008/2/27

 

 

 

<20周年の節目>

・私はごくごく普通の人間なのです。しかし、2000年を境に私が世間から注目されるようになって以来、残念ながら私自身の霊的能力ばかりがクローズアップされてしまっているように思います。

 

・「たましいのふるさとから、この現世に旅に来て、そしてやがて迎える死も。ふるさとへの里帰りに過ぎない。そして人生の名所とは経験と感動である」と、そう一貫してお話ししてきたのです。

 

・ですから、生きとし生ける誰もが、この目的のために生まれてきたのであって、特別な人など存在しあにのです。また逆をいえば、すべての人が、より高い人格を目指す特別な人とも言えるかもしれません。

 

・私はこれまでの人生の中で一度だけ、未熟ながら自らの守護霊に助言を求めたことがありました。

「この苦境を乗り越えるために、道を示してください」と。

しかし、返事は「それではぬしの人生ではなくなる」というひとことでした。

 

・このような経緯の中で私が目覚めたことは、人間は霊的世界の操り人形ではないということ。そして、人生と言う旅のなかで、その名所である経験と感動を味わい尽くして有意義に生きることが大切であるということです。

 このような「生きることの真理」こそ霊的真理であり、スピリチュアリズムであるのです。

 

<人にもまれて育ちました>

<「愚者の道」を歩み来て>

・私のこれまでの人生をふり返ると、それはひとことで言って「愚者の道」でした。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。

賢者は先人たちが踏んだ道から人生の真理を悟ることができる。しかし愚者にはそれができず、自分自身が身をもって一つひとつ経験し、そこで得る感動をもとに学ぶという方法でしか人生の真理に到達しえない。そういった意味の言葉です。

 

<十代で世間の風にさらされる>

<人生を教えてくれた下町>

<恩師に恵まれ続けて>

・人生はなにごとも努力で切り開いていくものですが、私の人生のなかで、これだけは自分の努力の成果だけではなさそうだな、と思うことがあります。それは、つねにいい先生に恵まれてきたということです。

 

しかし私が訪ねた霊能力者たちの多くはいかがわしい人ばかりでした。どの人も十分やそこらの面会時間で「先祖供養が足りない」などと当たり障りのないことを言っては高額のお金を要求するだけ。

 お金も尽きかけて、この人で最期かというタイミングで、T先生という現在の私の活動の基礎を作ってくれた恩師に出会えたことはほんとうに幸いでした。

 

T先生に出会えなければ、いまの私はいないと断言できます。その後出会ったS先生もすばらしい霊能力者で、その後イギリスへスピリチュアリズムを学びに行ったのも、ふたりの先生の勧めでした。ふたりは異口同音に、「これからの霊能力者は拝み屋で終わってはいけない。アカデミックに心霊の世界を人々に説けるよう、スピリチュアリズムをしっかりと学びなさい」と強く勧めてくれたのです。

 

出会う人の幅は自分自身の幅

人との出会いはつねに「波長の法則」の結果であり、みずからの波長が引きよせています。たとえば現在あなたをとりまく人たちは、どの人もあなた自身の映し鏡で、あなたとまったく波長の同じ人たちなのです。

 

・すべての事象には「光」と「闇」があります。光があれば必ず闇があります。闇の暗さを知るからこそ光のありがたさがわかります。数々のすばらしい先生たちとの出会いは、孤独という闇のなかに輝く光のようでした。

 

<経験と感動がすべて>

・本書では、私自身の人生を例にしながら、「人生に無駄はない」ことをくり返しお伝えしていきたいと思います。あなたは読みながら、あなた自身のこれまでの人生にもひとつも無駄はなかったと気づくでしょう。

 そして今後の人生に対しても「自分の学びにとって無駄なことはなにひとつ起きないはず」と確信できるかもしれません。そうなればきっと、なにがあっても受けいれていけるでしょう。それは、つまり「大人のたましい」への成長が約束されたようなものだからです。

 

<これからが本番です>

<後進を育てたい>

・これから本腰を入れていきたい仕事のひとつに、まずスピリチュアル・カウンセラーやスピリチュアル・ヒーラーの養成があります。つまり「後進の育成」ということで、これに関してはすでに少しづつ始めています。

 私の究極の理想は「霊能力者撲滅」であると、何度も書いてきました。スピリチュアル・カウンセリングやスピリチュアル・ヒーリングなどなくても、一人ひとりが霊的真理に目覚め、その「人生の地図」にしたがって自立して生きていければ一番いいのです。しかし現実は、この理想からはほど遠いでしょう。

 

<スピリチュアリズムを福祉に生かしたい>

・ふたつめに私が目指しているのは、福祉の世界です。福祉の世界、とりわけ「ターミナルケア」。「緩和ケア」といった分野にスピリチュアリズムを生かす道を作りたいと思っています。

 ターミナルケアは終末医療とも言い、回復の見込みのない末期の患者さんたちに施す、肉体的、精神的苦痛の緩和を目的とした医療のことです。

 

・具体的には、まず患者さんたちに、霊的視点からの「デス・エデュケーション(死の準備教育)」をしたいのです。死は怖いことでもないし無に帰すことでもない、懐かしいふるさとへの里帰りだということを知って安堵していただきたいのです。そして最後の一日、最後の一秒までいのちを輝かせて生きてほしい。

 

<内観こそ人生>

・「この世のすべては偶然ではなく必然」と私はよく言いますが、それは人の運命は定められているという意味ではなく、「因・縁・果」といういわゆる因果律をさすもの。今生または過去世をも含めて、自分自身が何かしらの種を蒔いた結果として、現在の状況があるのです。つまり、自分自身がいかなる種を蒔いたのか、その原因を過去にさかのぼって顧みるのです。

 

・大切なのは、何かのせいにすることではなく、自分自身の未熟さを反省する裁量に置き換え、自分自身をより成長させるための、たましいの肥やしにすることなのです。

 そのこと自体が、悪しき種を刈り取り、よき種を蒔くことにもなるのです。

 そして、大切なのは「絶対にポジティブに受け取ること」です。なぜならば、この世に起きるすべてのことはみな意味のあることであり、いたずらに不幸に陥れる出来事はないからです。すべては成長のために起こっているのです。

 

 

 

『江原啓之 本音発言』

江原啓之    講談社    2007/10/19

 

  

 

<スピリチュアル基礎用語>

(あの世)

死後の世界。この世との境にある幽現界を経て、幽界、霊界、神界へ移行する。

 

(カルマ)

因果律、業ともいう。自分の行動は善いことも悪しきこともいつか自分に返ってくることを意味する。

 

(グリーフケア)

家族や身近な人を亡くして悲しむ人(遺族)の心の痛みを癒す作業。江原の場合、亡くなった人のメッセージを伝えることによって悲しみを和らげる。

 

(幸福)

スピリチュアリズムにおける幸福とは、出世や収入などの物質的な成功ではなく、霊的真理によってたましいが浄化され、失う恐怖をなくすことを指す。

 

(シッティング)

霊能者が霊媒となり、霊的世界とコンタクトを取り、相談者から話を聞く前に一方的に相談者の属性や身の回りのことを言い当てていくこと。

 

(宿命と運命)

国籍や性別、家族など生涯変えることのできない人生の要素が宿命。それに対し、運命は自分の努力や周囲の協力で変えることのできる要素を指す。

 

(守護霊)

現世に生きる人間を見守っている霊的存在。

 

(スピリチュアリズム)

死後の世界や霊の存在を前提とした世界観および思想体系。スピリチュアリズムの真理(霊的真理)に基づいてカウンセリングを行うのがスピリチュアル・カウンセラー。

 

(大我と小我)

見返りを求めずひたすら他者に与えようとする考え方が大我で、自分のことを最優先する考え方が小我。

 

(たましい)

すべての人間の中に宿る霊魂のこと。スピリチュアリズムでは肉体はたましいの乗り物にすぎないと考えられる。

 

(波長)

たましいが生み出す想念のエネルギーを指す。波長には高低があり、偶然ではなく必然だと考えられている。

 

(物質中心主義的価値観)

すべての判断基準をお金やモノなどの物質に置いてしまう考え方、価値観。霊的価値観の対極にあるもの。時に物質主義的価値観、物質的価値観と省略して使われる。

 

(未浄化霊)

この世に未練や執着を残しているため、死後もあの世に帰れずにさまよっているたましいのこと。未浄化霊が生きている人間のたましいに撮り憑くことを「憑依」という。

 

(類魂(グループ・ソウル))

霊的世界におけるたましいの集合体。誰もが類魂の一部であり、類魂の全体の進化向上を目指している。

 

(霊界通信)

守護霊と交信することにより、メッセージを受け取ること。相談者などにとって、その必要がある場合のみ。メッセージがもたらされる。守護霊のメッセージから得られる教訓を広く「霊訓」と呼ぶ。

 

<スピリチュアリズム8つの法則>

1.(霊魂の法則)自分が霊的な存在であることを意識して生きること

 

2.(階層の法則)肉体の死後、たましいは現世でいかに成長したかによって、それに応じた階層へと向かう。肉体を捨て「幽体」となると、最初は現世と幽界の中間地点である「幽現界」へ向かい、そこから「幽界」へ進み、やがて幽体をも脱ぎ捨て光となって「霊界」へと上昇する。死後の世界は明るい天国のような層から暗い地獄のような層まで幾重にも分かれており、現世での成長に応じて移行する層が変わる。

 

3.(波長の法則)一言で言えば「類は友を呼ぶ」、波長の高いたましいはポジティブな出会いを引き寄せ、波長の低いたましいはネガティブな出会いを引き寄せる。みずからの魂を向上させることで波長を高めれば、志の高い仲間と出会うことができる。逆に魂の錬磨を怠ると、周囲にやる気のない人間が集まってしまう。

 

4.(守護の法則)自分を見守ってくれる守護霊の存在を信じて生きること。依存してはいけないが、守護霊はどんなに苦しい試練の中にある時も、大きな愛で見守ってくれている。守護霊は役割によって4つに分けられる。生前から死後まで見守る中心的存在の「主護霊」、職業や才能を指導する「指導霊」、数年先までをコーディネイトする「支配霊」、これらを手伝う「補助霊」がいる。

 

5.(類魂の法則)どのたましいも、帰るべき故郷として類魂(グループ・ソウル)を持っている。類魂をコップの水にたとえるなら、それぞれのたましいは一滴の水。現世での修行を終えたたましいは霊界に戻り、グループ・ソウルに混じり合う。すべての経験が類魂全体の叡智となり、それぞれのたましいが純化することでコップ全体の透明度を上げることを目指している。

 

6.(因果の法則)自分のまいた種は、自分で刈り取らなければならない。自分の行動は必ず自分に返ってくる。自分がネガティブな想念を持っていれば、やがてネガティブな結果がもたらされる。自分が誰かを嫌うと、相手もまた自分を嫌うという現象はこのため、逆に、人に親切にすればいつか自分に返ってくるという「正のカルマ」もある。

 

1.(運命の法則)運命とは変えられないものではなく、自分の力で作り上げていくもの、たましいを磨く努力によって人生を切り拓くことができる。一方、国籍や性別など自分の力では変えられないのが宿命、ケーキにたとえるなら、宿命がスポンジで運命がクリーム。スポンジの特性に合わせてクリームでデコレーションするように、どんな宿命であろうと、自分の努力で運命を拓けば人生を輝かせることができる。

 

2.(幸福の法則)これまで挙げた7つの法則は欠けることなく実践すれば、霊的真理によって幸せを得ることができる。お金や出世などの物質主義的な成功を求めるのではなく、試練を克服しながら愛を学び、たましいを向上させることにより、「失う恐怖」から自由になることができる。それこそが、スピリチュアリズムにおける真の幸せを意味する。

 

 

 

『続 スピリチュアリズム入門』

 高級霊訓が明かす霊的心理のエッセンス&霊的成長の道

   (心の道場)

 

 

 

 <宇宙人の存在とその様子>

 <異次元の物質世界>

・高級霊の霊界通信は、宇宙に関する驚くような事実を明らかにしています。それは同じ物質世界でありながら、物質の状態が異なる別の物質世界(宇宙)があるということです。目に見える宇宙と目に見えない宇宙が存在している、次元の異なるさまざまな宇宙が重複して存在している、という宇宙像を描いています。

 

・こうした霊界通信が明らかにしている異次元の物質世界は幽界(最下層の霊的世界)と似ているように思われますが、そこは霊的世界ではありません。どこまでも物質次元に属する世界なのです。そうした異次元の物質世界が天体を取り囲むようにして存在し、そこに地球人とは肉体の次元を異にする人間(宇宙人)が住んでいると言うのです。

 

・太陽系のそれぞれの惑星にもこうした異次元の物質世界が展開していて、人間的存在(惑星人)が住んでいると霊界通信では述べています。そして、異次元木星には地球よりずっと進化した人間が存在し、異次元火星には最も進化の遅れた人間が存在しているということです。私たちの地球は、火星に次いで二番目に進化の遅れた惑星であると言われます。

 

・無数の異次元宇宙(そのどれもが物質次元の世界であって霊的世界ではない)があって、それらが重層して存在していると考えられます。

 

・異次元木星や異次元火星などを中心とした異次元宇宙が存在しているということです。その異次元惑星は私たちの地球人からは認識できません。

 

・宇宙人の進化の階段は第1レベルから第10レベルまであり、地球は第1レベルで、現在地球は、第2レベルへと上昇進化しているところだから、将来の地球人は、その潜在意識の心の力の10分の2を活用できるようになります。それは、DNAをもう1条活性化することが必要です。

 

 

 

『スピリチュアリズム入門』

スピリチュアリズムが明かす霊現象のメカニズム&素晴らしい死後の世界         (心の道場)

 

 

 

 <シルバー・バーチ霊の語る霊界の美しさ>

・「あなた方は、まだ霊の世界の喜びを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えば、どこへでも行ける。考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追及したいことにいくらでも専念できる。お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当たらないのです。

  その楽しさは、あなた方には分かっていただけません、肉体に閉じ込められた者には、美しさの本当の姿を見ることができません、霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなた方は、ご存じない。

 

・すでに死んで霊界にいる者の方が、生命の実相についてはるかに多くを知っています。住民の心には真の生きる喜びがみなぎり、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神にあふれ、互いに己の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。

 

・ここは光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。この世界に来て芸術家は、地上で求めていた夢をことごとく実現させることができます。

 

・金銭の心配がありません。生存競争というものがないのです。弱者がいじめられることもありません。霊界の強者とは、弱者に救いの手を差し伸べる力がある、という意味だからです。失業などというものもありません。スラムもありません。利己主義もありません。宗派も経典もありません。あるのは神の摂理だけです。それがすべてです。

  地上のいかなる天才画家といえども霊の世界の美しさの一端なりとも地上の絵の具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律の一節たりとも表現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で書き表すことはできないでしょう。

 

・あなた方は、地上の大自然の美を見て感嘆されますが、その美しさも霊の世界の美しさに比べれば、至ってお粗末な色あせた摸作程度でしかありません。地上の誰ひとり見たことのないような花があり色彩があります。小鳥もいれば植物もあり、小川もあり山もありますが、どれ一つとして地上のそれとは比較にならないほど、きれいです。そのうちあなた方も、その美しさをじっくりと味わえる日がきます。その時、あなた方は、霊になっているわけですが、その霊になった時こそ、真の意味で生きているのです」

 

 

 

『賤民の異神と芸能』

谷川健一  河出書房新社  2009/6/9

 

 

 

〈宿神と魔多羅神>

・秦河勝を祀るといわれている大酒(大避)神社は広隆寺の守護神の役割をもっており、実は地主神にほかならなかった。地主神は敬意を払われないときは、障礙神として妨碍するおそろしい神であった。この場合秦河勝は宿神であり、大避神社の地主神としての魔多羅神と一体化した「大荒神」であったと考えることができる。シュク神は在来の土地の神として荒神の側面を備えている。荒神は外来の悪霊の侵入を防ぐと共に、自分の占める土地を主張し、自分を共敬しないものに対しは敵対者、すなわち障礙神としてふるまう。魔多羅神は芸能神としてしての宿神であり、また荒神としての宿神であったと思われるのである。

 

<魔多羅神  障礙と祝福の地主神>

<魔多羅神の微笑>

・上方には北斗七星が描かれている。魔多羅神が猿楽の鼓打ちに似た格好をし、二童子も笹と茗荷を持って舞うことは、魔多羅神が芸能神であったことを推測させるに足る。

 

<魔多羅神の神秘>

・魔多羅神の正体は明らかではない。本田安次は『神楽』の中で出雲の鰐淵寺について「天台の寺であるだけに、常行堂に魔多羅神をまつっているが、その信仰は今も固く、常行堂は常の日も、調査団から希望が出ても、扉を開けることもしない。魔多羅神の名を口にのぼすことさえも恐れられていたようである」と云っている。このように魔多羅神が恐れられるのは、それが障礙神の一面をもつからである。障礙というのは、人に幸福を与えるのではなく、障りや災いをもたらす神ということである。

 

<障礙神から福神へ>

・比叡山の魔多羅神と同類とされる大黒天もダキニ天も人の精気を奪って死にいたらしめる「奪精鬼」とされている。とはいえ、これらの神は障礙神としての否定的な機能を発揮することがあっても、その神通力のゆえに、転じて福神に変るという道筋をたどる。この不思議な逆転の役まわりを演ずるのは、魔多羅神も同様である。障礙神のもつ負のエネルギーを利用して、修業を妨げる天魔や天狗などを除去する立場に転換する。つまり、魔多羅神は、自分に不敬があれば、人間の往生を障礙する神であるが、一方では往生を引導するという両面をもつ神である。

 

・これまでの一般的な見解と異なる魔多羅神の本質がここには語られているが、折口の論点をいくつかを抽出してみる。

 

一 魔陀(多)羅神は、土地の精霊であり、地主神である。

二 土地の精霊は最初は人びとに反抗するが、やがて祝福するような姿勢に変わる。

三 太秦の広隆寺で、魔陀(多)羅神は土地の先住者であった。それが牛祭のときは、寺の仏を祝福しにやってくる。

四 大和猿楽でも、翁が春日の大宮、若宮へ祝福しにやってくる。翁はあとでは位の高い神という印象を受ける伝説を作りあげているが、それは変化した形であり、翁ももとは地主神とか土地の精霊にほかならなかった。

 

 

 

『日本人の心のふるさと(かんながら)と近代の霊魂学(スピリチュアリズム)』

(近藤千雄)(コスモス・ライブラリー)  2006/3

 

 

 

サマー・ランド、ブルー・アイランド

・ 言って見れば、「因果律による審判が行なわれるわけであるが、皆が皆、素直に更正するわけではないから、三つの階層に収まることになる。

 

・ しかし、ここは、まだ虚構の世界で、死後の世界ではあっても、実相の世界ではないことが、肝心なところで、死ねば地獄か極楽へ行くとか、無で帰するというものではない。当分は、地上時代そのままの意識と姿で生活を続ける。驚くことに、自分が死んだことすら気づかず、地上時代と同じ感覚のまま生活している者がいるほどである。信じられないことであるが、それほど、幽体と幽界がうまくマッチしているということであろう。

 

・ (コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の階層の実相)

 

「幽界」

・ 1、邪悪で、自己中心的な欲望しか持たない。

・ 2、邪悪性はないが低級な煩悩から抜け切れない者が集まっている。

・ 3、何事も思うがままに、叶えられる世界(サマー・ランド、ブルー・アイランド、極楽)

 

「第二の死」。無意識状況を体験して霊界に入る。

1、 知的な理解の世界。

2、 直感的な悟りの世界。

3、 形体なき存在への変化。神界へ上がる資質の不足な者は、再生する。

 

再生への手続きが行なわれ、他の者は、神界へ行く。

1、 宇宙の造化活動への参加と活動

2、 宇宙的存在としての普遍的愛の活動

3、 ニルバーナ、涅槃(ねはん)

それ以上は、(超越界)で、人間的な理知では知りえない。

 

<「幽界では障害者はいない」>

・さて、幽体は肉体の成長と共に大きくなり、肉体の細胞の一つ一つに浸透している。幽体はさきに説明した通り、基本的には感情の媒体であるから、感情の持ち方が肉体に反応し、その逆、すなわち健康状態が幽体に影響することにもなる。これからますます、盛んになると予想される臓器移植の関係も、いずれはこの事実と直面することになると推察されるが、ここでは深入りしない。

 

・死によって、幽体が肉体から抜け出ると、ちょうど地上に誕生したときのあの肉の魂のような身体が、2、3年で一人前の体型を整えて地上生活が営めるようになるのと同じで、幽体も徐々に幽界の環境に応じた体型と機能を整えて、幽界生活を営むことができるようになる。

 

地上時代との一番の大きな違いは、肉体の障害が全て消えてしまうことで、眼が見えなかった人は、自由になり、知能に障害のあった人は、正常に復する。そうした障害と不自由さがカルマと呼ばれている因果律によるものだっただけに、そのカルマの試練に耐え抜いた今、それがさまざまな幸せとなって報われる。

 

・その一方では、その正反対の報いを受ける者もいるであろう。他人に精神的苦痛を与えた人、殺人や障害の罪を犯した人は、言うに及ばず、いけないこととは知りつつ間違った生き方を続けた人。学者であれば、面子や名声をかばって、真実を真実として認めなかった人、宗教家であれば、間違いであることを知りつつ、もっともらしい、教説を説いてきた人。こうした人々は、その過ちに応じた報いを精神的苦痛の形で受けることになるという。こうした、いわば地上生活の清算は、さきに掲げた死後の界層の図にある中間境において行われる。

 

 <幽界>

・ 物質的身体に宿って、生活する場が物質界であるのと同じ原理で、幽質の身体に宿って生活する場は、幽界となる。身体が幽質の半物質で構成されているように、環境も同じ波動の半物質体で構成されていて、地上の人間が地球環境を実感を、持って認識しているように、幽界で生活する者はその環境を実感を持って認識している

 

・決して地上の人間が想像しがちなように実態のない、フワフワとした取り止めのない世界ではないことを知っていただきたい。中には死んだことに気がつかない者がいるほど、地上生活と同じ主観と客観の生活が営まれているのである。

 

・そのことが、なかなか信じられないのは、実は今生活している地上界を構成している「物質」そのものについての理解ができていないからに過ぎない。最新の物理学が教えるところによれば、我々が、実感があるかに感じている物的環境は、究極的には「波動」で構成されているという、これはもはや常識といってよいほど、知られていることであるが、ではなぜ実態があるのに感じられないのか。

 

それは、環境と身体が同じ波動でできあがっていて、五感によって、その存在が認識できる仕組みになっているからである。般若心経にいう「色即是空、空即是色」とは、このことであろう。ただ、認識できる範囲にも限界があり、その範囲外の波動は、認識できないから、幽界や霊界は存在しないのと同じことになる。

 

<死後の界層>

 <四魂説>

 ・人間の自我の本体が<霊>であることは、すでに述べた。その霊的存在が地球という物質世界で生活を営むための媒体として授かるのが、物的霊体、俗に言う肉体である。これまでの人間科学は、肉体的欲望はもとより、人間の人間たる所以である精神的活動もすべてその肉体、具体的に言えば、脳の機能の反映であるというのが、基本的概念であった。それが、スピリチュアリズムによって、完全に覆され、肉体以外に三つの媒体があって霊がそれらを駆使して生活している。脳はそのネットワークに過ぎないことが判明した。

 

・ 四魂説というのがそれであるが、論理的な帰結として、肉体の活動の場として、物質界が存在するように、眼に見えない他の三つの身体にもそれぞれの活動の場があるはずだということになる。そして、それを明解に解いた霊界通信が入手されている。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

 

『ブルーアイランド』

エステル・ステッド  ハート出版  1992/11

 

 

 

<ブルーアイランドの建物>

・霊界というと、非現実的で夢のような世界を想像なさるに違いありません。が、そうではなく、みなさんが外国に行くのとまったく同じなのです。地上と同じように実体があるのです。おまけに、比較にならないくらい興味のつきない世界です。

  やがて私たちは大きなドームのような建物の前に来ました。中を覗いてみると、ここも素敵なブルーで彩られていました。地上で見かける建物と変わらないのですが、その美しさが違うのです。

 

・そこにしばらく滞在して、それから軽い食事を取りました。私が地上でよく食べていたものに似ている感じがしました。ただし、肉類は見当たりませんでした。

 奇異に思えたのは、食事は必ずしも取る必要がないように思えたことです。目の前に置いてあるのですが、どうやらそれは必要性からではなくて、地上の習慣の名残にすぎなかったようです。

 

・父の説明によれば、あの建物は一種の休養施設で、地上からの新来者がよく集まるところだそうです。地上界の生活条件に近いものがいろいろと揃っていて、外観も地上の建物に似ているので、よく使用されるということです。同じ目的をもった建物は他にもたくさんあります。別の用途を兼ね備えたものもあります。

 

・それらの外観は一つ一つ異なり、似たものはありません。要するに“大きなビル”と考えればよろしい。博物館や美術館、あるいは巨大なホテルを想像されてもよろしい。だいたいそんなものに近いと思ってください。おとぎ話に出てくる夢のような宮殿を想像してはいけません。きわめて地上的で、変わったところは一つもありません。

 

・このブルーアイランドにはそうした建物が実にたくさんあるのです。というのも、この世界の第1の目的は、地上を去ってやってくる者が地上の縁者との別離を悲しんだり、無念に思ったり、後悔したりする気持ちを鎮めることにあり、当分の間は本人が一番やりたいと思うこと、気晴らしになることを、存分にやらせることになっているのです。

 

・元気づけるために、あらゆる種類のアトラクションが用意されています。地上時代に好きだったことなら何でも――精神的なものでも身体的なものでも――死後も引き続いて楽しむことができます。目的はただ一つ――精神的視野を一定のレベルまで高めるためです。

  書物を通じての勉強、音楽の実習、各種のスポーツ、‥‥何でもできます。乗馬もできますし、海で泳ぐこともできます。狩りのような生命を奪うスポーツは別として、どんなスポーツ競技でも楽しむことができるのです。もっとも、こちらでは地上で言う“殺す”ということは不可能です。狩りと同じようなことをしようと思えばできないことはありませんが、この場合は“死”は単なる“みせかけ”にすぎないことになります。

 

・そうした建物は新来者の好みの多様性に応じて用意されているわけです。こちらでは疲労するということがありませんから、思う存分それぞれに楽しむことができます。が、やがてそればっかりの生活に不満を抱き始めます。そして、他に何かを求め始めます。興味が少しずつ薄らいでいくのです。

  それと違って、たとえば音楽に打ち込んだ人生を送った者は、こちらへ来てからその才能が飛躍的に伸びて、ますます興味が深まります。その理由は、音楽というのは本来霊界のものだからです。ブルーアイランドに設置されている音楽施設で学べば、才能も知識も、地上では信じられないほど伸びます。

 

・さらには“本の虫”もいます。地上では失われてしまっている記録が、こちらでは何でも存在します。それがみな手に入るのです。ビジネスひとすじに生きた者にも、その才能を生かす場が用意されています。

  これには理由があります。こちらへ来たばかりの者は、多かれ少なかれ悲しみや無念の情を抱いております。それが時として魂の障害となって進歩を遅らせます。そこで、とりあえず悲しみや無念の情が消えるまで、当人がやりたいと思うことが何でも好きなだけやれるようにとの、神の配慮があるのです。それが実は進歩への地固めなのです。

  が、純粋に地上界に属する趣味は、やがて衰え始めます。一種の反動であり、それがゆっくり進行します。こちらでも物事は段階的に進行し、決して魔法のように一気に変化することはありません。

 

・その反動が出始めると、興味が次第に精神的なものへと移っていきます。もともと精神的なものに興味を抱いていた人は、引き続きその興味を維持し、拡大し、能力が飛躍的に伸びます。地上的な性格の趣味しか持たなかった人にも、いずれは変化の時期が訪れます。

  このように、ブルーアイランドにいる間は、多かれ少なかれ地上生活との関連性が残っています。最初は、ただ面白いこと、愉快なことによって自分を忘れているだけですが、やがて霊的向上のための純化作用が始まります。

 

 

 

『天国への手紙』

江原啓之  集英社    2007/3/20

 

 

 

<「たましい」の行方>

<臨終~舞台の幕が降りるとき>

・臨終のとき、すなわち死に臨む最期のときに、意識がはっきりしていて「さようなら」が言えるケースはほとんどないでしょう。亡くなり方にもよりますが、少し昏睡状態になってから、ということが多いと思います。

 前述しましたが、人間の肉体には、幽体と霊体というスピリチュアルなエネルギー体が重なっています。幽体は精神であり、霊体は私たちの本質である魂です。

 

・臨終の昏睡状態のときは、肉体から幽体と霊体が少しずつ離れつつある状態です。たましいが、ふるさとである「あの世」へと帰り始めているのです。

 ですから、意識が半ばもろうとしながらも、「さっき、死んだお母さんが会いに来たよ」などとつぶやくようになるのです。

 

・臨終のときには、ふるさとからお迎えが必ず来ます。すでにあちらの世界に帰っていった愛する人、よく知っている人が迎えに来てくれるのです。

 私たちが現世を生きている間、見守ってくれたガーディアン・スピリット(守護霊)は姿をあらわしません。その姿に私たちはなじみがないので、わからないからです。あちらの世界へ順応しやすくするには、誰が行けばもっとも効果的かと考えて、私たちのよく知っている懐かしい人が迎えに来てくれるようになっています。

 昏睡状態になることも、知っている人が迎えに来てくれることも、すべて旅立ちをスム―ズにするためです。死というひとつの喚問をラクに通過させる方法について、あちらの世界では、実によく考えてくれているのです。

 

<スピリチュアル・ワールドの階層図>

・ここで、スピリチュアル・ワールドの階層について、かんたんに説明しておきましょう。

 私たちが生きている現世は、「現界」です。人が亡くなると、先ほど述べたように、たましいは「幽現界」へ行きます。ここは、現界と重なり合うように存在するスピリチュアルな世界です。

 たましいは幽現界にしばらくとどまり、自分の死を受け入れて、現世への執着を断ちます。これができないと、未浄化霊としていつまでもここにいることになります。

 

・自分の死を受け入れて、執着を断ったたましいが次に行くのは「幽界」です。

 ここはとても広く、さまざまな階層(ステージ)に分かれています。この世にとてもよく似た下層部から、天国のように美しい上層部(サマーランド)までを含みます。

 幽界のどの階層に行くかは、生きている間のたましいのレベルによって違います。

 たとえば、人を妬んで悪口を言ったり、足を引っ張ったりするのが日常茶飯だった人は、同じような人ばかりが集まる下層部に行きます。

 そこには、仏教で「地獄にある」といわれているような針山や血の池などはありません。

けれど、低いレベルのたましいばかりが集まっているので、まさしく「地獄」といえるでしょう。その周辺はどんよりと曇っています。

 

・反対に、人のために尽くし、霊格の向上に努めてきた人は、明るく美しい上層部に行きます。いわゆる「サマーランド」と呼ばれる、とてもさわやかなところです。

 そこを抜けると、「霊界」に行きます。ここが、私たちのガーディアン・スピリット(守護霊)などの高級霊がいる世界であり、たましいのふるさとなのです。

 

・その上には、神の領域である「神界」が広がります。

 私たちは、なかなか神界へは行けません。そこまで霊格を向上させられる人はほとんどいないのです。多くのたましいは、霊界で自分を見つめ直し、再びたましいの修行を求めて現世へと再生をくり返します。

「現界→幽現界→幽界→霊界→神界」と高まっていくスピリチュアル・ワールドの階層を、頭に入れておいてください。

 

<幽現界~現世に最後の別れを告げるところ>

・ラストシーンを終えて舞台袖に戻った役者は、しばらく客席の反応を見つめます。芝居が終わったことを確認するのです。

 それと同様に、亡くなった人は「幽現界」にしばらくとどまり、現世に別れを告げます。自分のお通夜やお葬式を見たりして、死へのイニシエーション(通過儀礼)を行うのです。

 

・そこではっきり自分の死を自覚し、縁のあったいろいろな人に「お別れ」を告げに行きます。

 自分と絆のある人が亡くなったとき、フッと「虫の知らせ」が来ることがあるでしょう。なんとなくその人のことを思い出したり、ラップ音(物理現象としての音ではなく、スピリチュアルな現象による音)が鳴ることもあります。それは、亡くなった人からのお別れのメッセージなのです。

 

・仏教では「四十九日」という区切りをつけますが、だいたいそれぐらいの期間、たましいは幽現界にとどまります。

 とどまる期間は人それぞれです。とどまらずさっさと幽界に行く人は、ほとんどいません。必ず何か気になることがあるからです。たとえば、会社の机の整理から、相続財産の行方、飼っている猫のエサの時間、口座引き落としの日の銀行残高など、些細なことにいたるまで心配ごとや執着はたくさんあるのです。

 自分がもう死んだということを自覚して、現世への執着や未練が断ち切れないと、次なる「幽界」へは行けません。すると、幽現界にとどまったまま、未浄化霊となって「さまよう」ことになります。

 

・自分の死を受け入れて、執着や未練を断ったたましいは、幽現界にあまり長くとどまらず、次のステージである幽界へと進むことができるのです。

 

<幽界~心象風景がそのままあらわれるところ>

・「幽現界」を抜け出たたましいの多くは、まず「幽界」の下層部あたりに行きます。

 前述しましたが、幽界はさまざまな階層(ステージ)に分かれていきます。最下層部には地獄のように暗くてどんよりとした世界があり、上層部はサマーランドと呼ばれる天国のように明るくのどかな世界が広がっているのです。

 

・地獄といっても、閻魔大王がいるわけではありません。底意地が悪く、ケチで、自己顕示欲の強い人たちばかりが集まっているのです。俗世中の俗世といえるでしょう。ある意味で現世よりも俗世です。現世にも「闇の世界」は存在しますが、表面化はしていません。

現世の闇の部分がすべて表面化しているのが、幽界の下層部だと考えてください。

 

・反対に、サマーランドは、人が理想として思い描く天国に近いといえるでしょう。心の美しい人たちばかりがのんびりと集う、光に満ち溢れた世界です。

 二つの中間にも、さまざまなステージがあります。そのなかのどのステージに行くかは、生きていたときのその人の心の在り方によって決まります。生きていたときの心の状態とまったく同じところに平行移動するのです。

 

<「浄化」のシステム>

・幽界の最上部に行っても、まだ真っ白ではありません。完全に浄化してはいないのです。

 幽界の最上部まで進んだたましいは、あらたな気づきを経て、「霊界」に進みます。

そこで今度は幽体を脱ぎ捨て、霊体だけになるのです。これは「第二の死」と呼ばれます。

 

・あるとき突然、意識改革されるように感じるときがあるでしょう。それは、思念の連鎖がもたらす改革なのです。

 つまり、現世に生きる私たちと、亡くなって幽界に行った人々のたましいは、互いに切磋琢磨しているのです。

 

<霊界~「グループ・ソウル」への帰還>

・たましいの在り方が、小我から大我へ移っていくのです。

 小我とは、自分の幸せや快楽だけを考える、身勝手で小さな心。大我とは、自分以外の人や全世界の幸せを願う大きな心です。

 たしかに最上層部(サマーランド)に行くと幸せです。なぜ幸せかというと、自分も周囲も大我に目覚めているからです。

 

<再生~再びたましいの旅へ>

・大我に目覚めたたましいは、グループ・ソウルに溶けこみ、そのなかから再び新たな経験と感動を求めて、現界に再生します。

 

・守護霊とは、現界を生きるたましいを常に見守り続ける高級霊のことをいいますが、再生を果たした自分と、それを見守る守護霊は、同じグループ・ソウルの一員です。ですから、守護霊は、二人羽織のように、自分が現界で生きているかのような気持ちで、たましいの旅路を見守っているわけです。

 守護霊は高級霊ではありますが、それは霊界にいるからで、実は現界に再生してきた私たちと同じ人格です。

 

・グループ・ソウルの一滴として現界に再び生まれ出て、守護霊に見守られながら、自分自身の本質をさらけ出し、さまざまな経験と感動を積んでいく。それによって、霊格を向上させていく。これが私たちのたましいが現世へと再生をくり返す目的なのです。

 このようにして、私たちは長い時間をかけ、何度も再生をくり返します。現世における死は、たましいの終わりを告げるものでは決してありません。たましいは、永遠なのです。

 

 

 

『あの世の存在に活かされる生き方』

パット・クビス&マーク・メイシー   徳間書店   1999/7

 

 

 

<新しい世界で生きるということ>

霊たちのほとんどは、自分たちがこの新しい場所に「渡ってきた」ことを理解しているのですが、ここにどうやってたどり着いたのかを思い出せる者はいませんでした。

 「この新しい場所」とは、地球が所属する太陽系にはないマルドゥクという星のことです。この惑星はひとつの太陽の周りを公転していて、そのほかにさらに二つの太陽に照らされています。ここは決して真っ暗になることはありません。マルドゥクの円周は約127000キロメートルで、ここには地球の月よりも大きな月があります。エターナティ川という名の、最深17000キロメートル、いちばん広いところで幅3700キロメートルになる大河が惑星全体をぐるりと囲んで流れていて、この川のほとりには600憶もの人々が暮らしています。

 

・この星の風景は絶えず変遷しているわけではなく、なかにはまったく変わらないものもあります。また、街があり、学校や大学もあります。

  今日、アストラル界についてのこのような描写は珍しいものではなく、多くの人々が臨死体験や体外離脱を経験し、そのときのようすを個人的に家族や親しい友人に話したり、あるいは記事や本、講義などで公に発表しています。

 

 <低次のアストラル界 地獄や煉獄という概念のもととなった世界>

・低次のアストラル界は暗く、陰惨な世界です。一部の人々は死後、自分が持つ低振動の思考や行動によってこの世界に引き寄せられます。この領域は物理的世界の近くに存在し、混沌としています。霊界には時間も、空間も、引力もなく、この低次の世界に陥った存在たちは、混沌とした状態のなかで生きることになります。そしてときには、地球の時間で言えば数年から数世紀もの間、この困惑に満ちた現実のなかで暮らすのです。なかには自分が死んだことに気づいていない者さえいます。

 

・アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信ができ、心の弱い人たちが悪い行いをするようにささやくのです。その人たちはそれぞれが自分自身の思考だと思い込んでしまいます。たとえば、死んだアルコール中毒患者、麻薬常用者、殺人者、またその他の凶悪犯罪人の霊は、地球上の自分と似たような性質を持った人間や意志の弱い人間に引き寄せられ、かつて自分たちが働いてきた悪事へと誘い込もうとします。このような否定的な心的存在たちは、とりついた人間の否定的な思考や態度、行動を煽り立てます。

 

 <アストラル界中層>

・私たちのほとんどが地球での教育―私たちの人格や忍耐力を向上させるための試練を与えてくれる学校―の後のリハビリテーションを行うための快適な領域です。

  タイムストリームや他のITC研究者グループから地球に送られてくるメッセージや画像はすべて、このアストラル界中層からのものです。彼らは、地球上のものに似たコンサートホール、博物館、病院、学校、家などについて描写しています。そしてその周りには、木や花、山々、野原、河川などの自然があり、このような景色は地球のものと似ていますが、ただただ息をのむほどに美しいということです。

 

  第三界とは、わたしたちがさらに高次の世界に進むか、それとも経験を積むために再び地球に生まれ変わるかを決めるまで過ごす、一時的な場所です。

 

 <さらに高次のアストラル界>

さらに高次のアストラル界は、キリスト教徒が「天国」、スピリチュアリストが「常夏の国」と呼んでいる素晴らしい場所です。他界におけるITC実験の研究仲間の多くはこの高次の世界に暮らしていて、ITC(トランスコミュニケーション)の活動に参加するために自分の振動数を下げて第三界に「降りて」くるのです。

 

・心因界は、世俗的な欲望や葛藤とは無縁の神聖な霊感の領域です。ここにいる存在たちはテレパシーを使ってメッセージを送り、地球上の多くの芸術家や発明家にひらめきを与えています。心因界の振動を持つ「光の存在」たちは、インスピレーションや手引きを与えてITCのプロジェクトを援助しています。

 

 <天国と地獄>

ほとんどの人によって天国だと考えられている世界は、アストラル界高層にあります。神秘家や霊能者はこの世界を「常夏の国」と呼んでいます。

  この常夏の国では、人々は私たちと同じように暮らし、その姿は若かったころのように見えます。ここには素晴らしい大学やデザインセンター、きれいな花や植物が茂る美しい風景があり、まさに天国を思わせる鳥たち、犬猫などの動物のほかに、こちら側の世界には見られない種類の動物たちがいます。またこの世には存在しない色がたくさんあり、初めてこのアストラル世界を訪れた人たちはそのまばゆさに目がくらんでしまうほどです。

 

・医者であり、リッチモンド全科診療専門学校の前学長だったジョージ・リッチ-博士は、1943年にアストラル界を訪ねる経験をしました。リッチーは巨大な半球形の建物に案内され、そこで存在たちが何かの製造作業をしているところを見ましたが、当時はそれが何かわかりませんでした。それがわかったのは十数年後で、ライフ誌に掲載された米国第2の原子力潜水艦の写真が、何年も前に彼が見た、アストラル界の存在たちが造っていたのと同じものだったのです。

 

・他界から通信してくる者たちは、多くのアイデアはまずアストラル界で生まれ、それが現世の発明家に与えられると告げています。発明家が研究開発に一心不乱に取り組んでいるとき、彼らはしばしば自分にテレパシーを送ってくる目に見えない仲間とともに作業をしていることが多いのです。発明家の多くは、まるで見えない何者かが自分の傍らにいるようだと言っています。

  多くの発明家たちが、貴重な情報を夢のなかで受け取ったという経験を語っています。他界の科学者たちにとって、人間が夢を見ている間というのは通信にもってこいの時間なのです。

 

・わたし(パット・クビス)はカリフォルニア州のコスタ・メサにあるオレンジコースト大学で教授として23年間教えていましたが、実はアストラル界の大学でも教壇に立っていたのです。わたしは自分をよく知る友人に向かってときおり、「こんなに疲れているわけよね。一日中ここのキャンパスで働いて、それからアストラル界でもやっているんだから」と冗談を言ったものでした。興味深いことは、アストラル界の大学のキャンパスは、あらゆる点においてコスタ・メサの大学と同じくらい「現実的」であったことです。ただ、アストラル界のキャンパスの構内と建物は地上のものとはまったく異なっていて、オレンジコーストよりもずっと大きなものでした。

 

・地球と常夏の国のいちばん大きなちがいは、常夏の国に住む人々は互いに異なった文化背景を持っているにもかかわらず、みんなが平和と調和のなかで暮らしているということです。実際、この平和と調和に対する理解が、インドの神秘主義者たちが「デイヴァシャウン」と呼んだ第四界、つまりアストラル界高層に進むための必要条件となっているのです。

 

・魂がアストラル界を離れて心因界に進む準備ができると、アストラル体に死が訪れ、進歩をふり返るための休息期間に入ります。しかしながら前にも書いたように、魂は別の選択肢として、再び地上に生まれて物理的世界でさらに経験を積むこともできます。

 

 

 

『河童・天狗・神かくし』

(松谷みよ子)(立風書房)1985

 

 

 

 <山の神などによる神隠し>

・ある時、この部落の小さい女の子がふっとかき消すようにいなくなった。部落総出で探してみても、いっこうに手がかりはない。幾日かたって、また、ふっと現われた。その現われ方がまた不思議なことだった。この部落のはずれの薬師堂の梁の上に、その女の子はちょこんと坐っていたんだ。村の衆は、あれは薬師様にさらわれたんじゃっていった。  (長野県)

 

・岩手県和賀郡和賀町横川目。私が15歳の頃(昭和10年前後)の事件である。大雨で村の中央を流れている尻平が氾濫した。その日、私の部落の幼児(5,6歳)が見えなくなったという騒ぎが出た。消防団も出たりして、部落総出で探しまわったが、夜中になってもわかりませんでした。きっと川に落ちて流されたに違いないというので、川下を探しまわった。ところが、朝になってその幼児が川向うの山の中で無事で発見された。これはどう考えても不思議な話でした。その川には、丸木橋一本かかっているだけで、当日の大雨の氾濫で大人でも渡ることができない状態でした。

 

・長野県上伊那郡。浦の新三郎猟師といえば、山の神様となれ親しんだ逸話の持ち主として知られています。明治の初年のこと、新三郎は金子勢五郎猟師と連れだって仙丈岳へ猟に出かけましたが、二人は途中の小屋で単独行動をとることにきめ、別れ別れになりました。それから1週間、新三郎猟師は、杳として消息を絶ってしまいました。村人に依頼して山中を捜索してもらいましたところ、勢五郎と別れた小屋に戻っているところを発見されました。新三郎の話では、小屋を出てしばらく行くと、立派な婦人が現われて手招きするのに出会いました。誘われるままについて行くと、苺などの実る場所へ連れて行かれ、たらふくごちそうになりました。こんなわけで、山にいる間は、ついぞ空腹を感じなかったという話でした。村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした観方のあることはおもしろいことです。

 

 出典:松山義雄著『山国の神と人』(未来社)

 

・和歌山県西むろ郡上三栖。紀州西むろ郡上三栖の米作という人は、神に隠されて二昼夜してから還って来たが、其間に神に連れられ空中を飛行し、諸処の山谷を経廻って居たと語った。食物はどうしたかと問うと、握り飯や餅菓子などたべた。まだ袂に残っていると謂うので、出させて見るに皆紫の葉であった。今から90年ほど前の事である。又同じ郡岩田の万蔵という者も、三日目に宮の山の笹原の中で寝て居るのを発見したが、甚だしく酒臭かった。神に連れられて、摂津の西ノ宮に行き、盆の13日の晩、多勢の集まって酒を飲む席にまじって飲んだと謂った。是は六十何年前のことで、共に宇井可道翁の璞屋随筆の中に載せられてあるという。

 

・昭和二十年頃の話。私の家の近くの男の子(小六年)が昼間、にわとりをいじめたから神かくしにあって大騒ぎとなりました。井戸のそばにしゃがんでいたそうなのに、家人にはその姿が見えず、子供には家人の姿が見えるけど声が出なかったそうです。二昼夜、その状態だったそうですから神かくしに違いないと、父母が言っていました。(青森県)

 

 

 

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