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件(くだん)の話は江戸時代だけのものではない。第2次世界大戦に件が現れて、「この戦争は負ける」といったという噂があった。(3)


 

 

『世界神秘学事典』

(荒俣宏) (平河出版社)  1981/11

 

 

 

<シャンバラの奇跡>

・シャンバラは、単に仏教の知られざる知恵の隠された聖地と考えるだけでは、足りない。シャンバラはまさに来るべきカルパつまり、宇宙時代への指導原理なのだ。

 

・仏教伝来以前にすでにチベット地方で広まっていたと思われる理想都市信仰と、その伝承である。チベットの古い伝承によれば、広大なる南の中央大陸は六つの地域に分かれ、北から“雪の国”“シャンバラ”“中国”“ホータン”“チベット”“インド”と呼ばれたという。

 

・ その住民は、マハトマと呼ばれる聖人に支配され、地下の不思議な通路によって世界へとつながり、この世の平和を基礎とした霊的指導原理を信奉している。そして、マハトマは、折りにふれ、シャンバラの使者を世界各国へ派遣するのだという。マハトマの使徒によるシャンバラ幻想王国の建立―これがリューリフの見果てぬ夢、神秘的共同体思想であった。

 

・ 「私が神秘の土地から始めてヨーロッパに持ち込んだ教えは3つある。一つは、ヨーガの中でも最高のヨーガ<火(アグニ)のヨーガ>。そして次の一つは、<地球内部の空洞世界に暮らす地底人の伝承>。そして第3は、<シャンバラ>である」とリューリフは言った。

 

・「地底の聖なる人々」についての伝承は、造山運動や天変地異を逃れて、地中に移り住んだ人類の祖先を語っている世界各地秘伝の大本(おおもと)である。

 

・“未来仏マイトレーヤ”の到達に備える文化的事業こそがリューリフの確信であり、マハトマー霊の指導者―の使徒の役割であった。そしてリューリフは、そのための心の共通語として(美術)を選んだのである。

 

・ リューリフが伝えたこの伝承に影響をうけて、SF雑誌に<シュエイバー・ミステリ>と云う奇妙な作品が登場した。アメリカとチベットは、地中の空洞を通じてつながっており、異星人が出入りするのだという小説である。

 

 

 

世界幻想文学大系 紀田順一郎、荒俣宏

20巻  『カシオペアのプサイ Ψ』

 (C・I・ドフォントネー)(国書刊行会) 2006/7

 

 

 

<スターあるいはカシオペアのΨ プサイ>

<天空の存在せる様々な世界の一つにおける不可思議な物語>

1854年に出版された本書は、レーモン・クノーが、1930年頃から数年にわたり、パリの国立図書館の厖大な図書の中を「狂気の文人」たちを求めて渉猟した。そして、忘れ去られている天才を発見したと言う。

 

・問題の天体は、星図中ではカシオペア座のプサイ Ψと登録されている星に属しているものと判断された。

 

・そこで、私の為すべき仕事は、翻訳したこのスター星の書物の内容を本書に集大成することにあった。

 

・おみごとです!あなたは、実際ほんの一飛びで、私と一緒にこの新しい世界に飛び込まれた。

 

・それにしても、今しがた終えたばかりのエーテルの海の航海では、私たちは、広大無辺の空間の大洋を越えて来たわけだが、私たちの思考は、飛行の最中では、途上に光り輝く島のようにばら撒かれていた星々の近くをかすめてきたのだから、スターに隣接する別の恒星にも立ち寄れたはずで、そうしていたならば、或る奇妙な事実に私たちは、驚かされていたのかもしれない。

 

・そして、それぞれに異なる色調を帯びた瀟洒な4個の太陽、それは、天空に開く四輪の光の花が、縁壁を彩り、あるいは、地平線上の様々な地点から光芒を放っている大空。

 

・大空に浮かぶ最も大きな円盤、この天体系の真の太陽であり、諸星の公転の中心である星は、リュリエルと称されている。

 

<スター人>

・この天体における人類とはどのようなものであろうか?どのような姿、外見、どのような知性を私たちの前に現してくれるのだろうか?

 

・スター人たちの一団が前方に現れる・・・。彼らは、私達と非常に類似している・・・。私達の知っているような人類がまさしくここにいる。ここでも、他の例と同じく人類は、人間の姿をしている。つまり、これまで、自然は、こうした姿の人類以上に完全な人類を創り出していなかったのである。

 

・スターと呼ばれるこの地球上に棲むこの人類の身体組織も、おそらくは私達のそれと類似しているだろう。

 

・この未知の世界の内奥に分け入ることを待ち焦がれていた私達は、やがて、つい先まで遠望していた当の壮大な都市の中央部に立っている。

 

・なおも接近すると、まず気づくことは、この都市の住民は、二つの民族あるいは二つの種族からなっており、彼らは互いに明確に違っているが、ともに一緒に生活し、通りの雑踏の中を平然と肩を並べて闊歩していることである。

 

  

 

世界幻想文学大系 紀田順一郎、荒俣宏

20巻  『カシオペアのプサイ Ψ』

 (C・I・ドフォントネー)(国書刊行会) 2006/7

 

 

 

<アバール(宇宙船)の速度>

・アバール(宇宙船)の速度は、彼の発明した装置によりエーテル航行に際し、危険を少しも伴わず、従来の10倍にまで伸ばせるようになったのだった。

 

<ネムセード族あるいは長寿族>

・トレリオール人たちは、この民族がタスト島の広大な平原に散在する小集団となって数百人ほど居住しているのを発見した。ネムセード人は、トレリオール人の中で最も背の高い人間よりもなお3分の1ほど高い背丈をしており、髪は濃い青、柔らかみのある緑の眼を持ち、挙動は重々しく、好意に満ちた優雅な顔立ちをしていた。彼らはすべて両性であった。いやむしろ性の区別を持っていなかった。

 

・あまりに永い間一緒に生きて互いに知り尽くしている彼らはとうとう最も親しい友人同志で小集団を作って別れ住むようになっていった。彼らの話によると彼らは、千年以上の年齢であった。

 

 

 

世界幻想文学大系 紀田順一郎、荒俣宏

20巻  『カシオペアのプサイ Ψ』

 (C・I・ドフォントネー)(国書刊行会) 2006/7

 

 

 

<衛星群>

 

<タシュル>

・最後のネムセードとスター人類の生存者たちを乗せたアバールは、いったん大気圏外に出ると計り知れない速度で上昇していった。ラムズュエルは上昇に上昇を続け、さながら、天頂に狙いを定めた弾丸のようにスター星から遠ざかっていく。ほどなく、彼らはスター星から遥かに離れた地点に到達していた。

 

・巧みに着陸したその丘を下りた彼らは、平原に出た。植物は、スターのそれに比べてやや小型のように思われた。草原や、葉群におおわれた森の色調は、おしなべて白みがかっており、より正確に言えば、スター星で見られる、雨氷にまぶされた草原風景のように、灰色から白色の段階に分かれていた。しかし、この灰をまぶされたような白い自然の中で、果実や花々だけは、赤や黄や青の鮮やかな描点をきらめかせていたのだった。

 また、内憂外患よりもスター人たちを驚嘆させたのは、花々の色に似た色彩をまとった鳥類の多さだった。

 

・スター人たちにとっては、この星の鳥の数は驚嘆すべきものであったにしても、他の動物類についてはかなり少ないように思われた。動物は、時おり、あちこちにごく僅か見かけられるだけだったからである。

 

・この旅人の一団は、アバールを安全な場所に移すと、この星に人間が棲息しているかどうかを調査するため、注意深く前進した。彼らの調査行は長く続かなかった。数時間後、彼らは、遠方の湖の近くに建設された町の建物を望んでいた。

 

・彼らの身体は明らかにタシュル人とは違っていたため、その冒険譚は容易にタシュル人たちに信用された。もともと善良で親切なタシュル人は彼らに援助の手をのばし、ほとんど誰も住んでいない肥沃な大陸を一つ分け与えた。

 

・そこで、彼らが交際を結んでいるタシュル人の間に女性は存在せず、むしろタシュル人が自身で二つの性を持つ、つまり両性具有人であることを知ったときの驚きは大きかった。男性および女性特有の器官を備えたタシュル人には、種族保存のための別の個人に接近していく必要性はありようもなかった。各々は自分の能力だけで、子孫を生み出すことができたのである。

 

彼らの衣装はすべて、肩からゆったりと被る寛衣(トーガ)であった。総じて大柄で堂々とした体格のタシュル人は、贅沢というものを知らず、社会全体にわたって完全な平等を実践していた。

 

・タシュルにおいて出会う多くの鳥類は、そのほとんどが雌雄同体となっている。なお、哺乳類も、大部分が雌雄同体であるが、その数は鳥類に比べて遥かに少ない。

 

<レシュール>

<神人のような彼らレシュール人の風俗>

・この香気に充ちた大気圏、つまりレシュールの表面を覆う大気は、スターやタシュルのように空に青味を与える代わりに、その深い透明な空を黄金色に彩っている。しかも済んだ空は、ごく稀に白銀色の雲によって曇らされるだけである。生気に充ちたこの大空の下に広がっているのは、植物の永遠の緑に飾られた大地である。

 

・タシュルを鳥の国とすれば、レシュールはスター人の目には花の国であり、なによりもまず、甘い香りにあふれた魅惑の国であった。黄金色の空を透過してくるため、四個の太陽の輝きはいっそうまばゆく強烈だった。

 

・この素晴らしい地では生命と思考は各個人の中で美化され、それぞれに神の様な形姿が与えていた。それは、ほとんどこの世のものと思われない天使族を見る心地がした。青味がかった薔薇色の肌は、美しく表情に富んでいる。

 

・スター人たちの歓喜は絶頂に達していた。彼らは市中に案内され、住人達の不思議な生活のありさまを知る機会を得た。なかでも最も不思議なのは、彼らの身体器官である。彼らの身体構造は、両性間のあの忌わしい結合を不可能にしている生殖や、それに伴う肉体的欲望は、そのため一種の精神感応のような手段をとる。抱擁や愛の行為そのものの中で双方の生命力が精神的にいわば放電しあう。そして彼らは、スター人と同じようにして身ごもり、子を生むのである。

 

<エリエール(透明の星)>

・光を透過させる点については、この星の物体は宇宙空間それ自体か、最も流動性の高いエーテルに匹敵する。そのため実際は天底点に位置している星々でさえ、スター人の眼には、エリエール本体を通して、しかも中間には何物も存在しないかのように明瞭に見えるのだった。

 

・エリエールに降り立った当初、スター人たちは、この星に存在する物や生起していることを一目で見て取ることはできなかった。一見した限りでは、輪郭のはっきりしない様々な物象が重なり合って見えるだけだからであった。

 

・ここでは植物も鉱物も大洋も大気の熱気も完全な透明さを持っている。人類と高等な動物だけが、身体に半透明の乳白色を帯びており、わずかにその輪郭を認めることができる。

 全身にオパール(蛋白石)のような光沢のあるエリエール人は、背が高く動作は敏捷、そして身体はよく均整がとれている。やや小柄な女性は、優美な姿をし、男性に比べてこころもち肌の透明度が良い。この愛らしい女たちは、エリエールの透明な地上で楽しげに遊び戯れているため、スター人は、空気の中を揺らめき舞う妖精と思い込んでいたほどである。

 

<アバール(エーテル航行機)>

・その二台の機械はアバールだったのである。この巨大な機械は卵型をしており、外皮は二重に金属板で覆われて、所々に小さなガラス窓が開いているが、その窓も金属の覆いが降りる仕掛けとなっている。全体を覆うこの金属板の表面にラムズエルの発見に基礎を置いた物理作用が働きアバールは作動するのである。この金属板は動力を統制御して、物体を空中に浮揚させ、また引力に応じて如何なる方向にも運動させることができるのである。

 

<レシュール>

・この星の美しさに魅せられたスター人たちは、レシュール人たちに植民地建設の許可を求め、受け入れられた。5百人のスター人から成る分遣隊がレシュールを出発し、やがてスター星系三番惑星・リュダールに着陸した。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

<リゲル  米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダー>

・この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学情報を米国に与えるのと引き換えに、米国民を誘拐する(ただし傷つけない)許可を米国政府から得ている。

 

こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっている。

 

・彼らは、りゅう座人のために働いている。りゅう座人が攻略の前準備をできるように侵略予定ルートを偵察する仕事である。

 

・軍隊型の厳格な階層制の文化を持っている。特にゼータ・レティクリ12のグレイが絡む場合はそうである。また肉体から肉体へと魂を移す能力を持っている。

 

<シリウスA   イスラエル政府と契約の宇宙の商人>

・背の高い細身のシリウスA人は、青と白の長いローブを着ている。両腕を横にまっすぐ広げると、身体全体でアンク(エジプト十字架)の形になる。これが彼らのシンボルである。宇宙の商人であり、技術と情報を売買して、排他的な取り引きルートと特別な優遇を得ている。彼ら自身に向けて使用される恐れのある技術は絶対に提供しない。彼らは、オハル星人に創作されたが、本来の目的を見失っている。

 

<シリウスB  老子、孔子、釈迦に叡智を与えた銀河の「哲学者」>

・ジャングルか湿地のような惑星の洞窟状空洞や地下で隠遁生活を送っていることが多い。寿命は極めて長い。大半は、家族形態とは無縁である。

 

<くじら座タウ グレイ種を目の敵にし、ソ連と協定を結んだ>

・この人間のような生物は、グレイ種を目の敵にしている。宇宙のどこであろうとグレイを発見したら叩きのめすと誓っている。

 

・地球までグレイを追って来た彼らは、1950年代にソ連と協定を結び、基地と自由に領空を飛行する権利を得た。

 

・最近になって、ロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をリュウ座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられている。

 

<ビーガン   シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ>

・このグレイ種は、シリウスA人の遺伝子から作られている。シリウス人の船の標準的な乗組員である。主人のために労役、実験、雑用を行う。ゼータ・レティクリ12のグレイは、前向きにビーガンの指揮に従い、人間の誘拐や鉱物のサンプル収集などの特定の任務を行う。

 

<ゼータ・レティクリ1  地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ>

・このグレイのエイリアンは、リゲル人が地球の人間を監視するために作った。人間とリゲル人の混合物である。人間の胎児と同じように四本の指と割れたひづめを持つ。ホルモン液と遺伝子実験のために人間を誘拐することで有名である。

 

・遺伝子的・ホルモン的な欠乏症のため、彼らは、急激に死滅している。他者を誘拐することで、自らの種を救う交配種の原型を作ろうとしている。

 

<ゼータ・レティクリ2  遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕>

・このグレイは、遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバーである。完全にマインド・コントロールされており、中央情報(コンピュータ)に接続されている。集団精神で一体となって動く。彼らは、無心になってゼータ・レティクリ1を手伝う。誘拐現場でよく目撃されるが、子供のように純真に行動する。

 

<アンタレス  トルコ人、ギリシャ人、スペイン人のDNAに>

極めて知識が高く攻撃的である

 

・彼らの社会の最深部まで入り込むことができた者は、ほとんどいない。

 

・女がいるところが観測されたことはなく、彼らは、同性愛者で、生殖目的でのみ女を使用すると考えられている。ただ、実は、ある母系集団が彼らの背後で権力を握っているとも考えられている。

 

 

 

『私は宇宙人と出会った』 

 秋山眞人  ごま書房  1997430

 

 

 

<日本人のコンタクティ>

・ 超能力者・コンタクティの不遇の時代

・ ファーストコンタクトの翌日から次々起こった超常現象

UFOは見る人の想念を反射して現れる

・ ついに宇宙人とのテレパシー・コンタクトが始まった

激しいシンクロニシティ現象

ある日突然、町中で宇宙人に呼び止められた

・ テレパシーは伝えたい情報の全てが一瞬にして伝わる

 

<宇宙人は大きく分けて二種類いる。「ヒューマノイド・タイプ」「グレイ・タイプ」>

・ 「宇宙全体を使った輪廻転生」が行なわれている

 

ヒューマノイド・タイプは4000年進化している

 

・ 魂あるいは精神性を共有することが素晴らしいことだと考えてきたからこそ、テレパシーなどの能力も発達してきたのだろう

 

宇宙法には「他の惑星の進化の自由選択を犯してはならない」と言うのがある

 

グレイ・タイプは完全な「ハチ・アリ」の社会構造をしており、人類から約1万年ほど進化した文明を構築している

 

・ グレイ・タイプは「ポジティブ・シンキング」のかたまりである。感情の揺れが少ないので、悩むということも基本的にない。ネガティブな思考は全くない。思考は全て前向きで、疑問を持つよりもとにかく行動、ただひたすら前進しようと考える。

 

グレイ・タイプに感情が希薄なのは彼らの肉体からクローンを作れるということにも起因しているだろう。指一本からでも完全な身体を再生できる。

 

・ 創造性だけは、神との連携作業で、これほど価値のあるものはない

 

<人類は、「記憶喪失の宇宙人」>

・ 母船型に20回、小型UFOには、200回を超える乗船体験がある

 

・ 夜の8時ごろ、富士山の2合目の樹海の近くで待っていると、突然空中が光って、直系10メートルぐらいのUFOが現れた。どうやらテレポートしてきたようである。

 

・ 何しろ彼らの平均年齢は800歳、最長老になると1200歳。その威厳においては、地球上のどんな人間とも比べることはできない。

 

母船ともなると、何キロもの超巨大UFOもあるようだ。大きさはグレイ・タイプのほうがヒューマノイド・タイプより遥かに巨大である

 

UFOの原料となる物質は、プラス、マイナスの中間の性質を持っている

 

・アストラル界やエーテル界では、思念で物質化ができるようだ。人々は、ガウンのようなものをまとい、顔立ちは、ハーフのような美男美女が多い。

 

・ 多くの装置はテレポートすることによってUFO内部に設置されてしまうのだ。これらの製造工程で、全てが思念の力によって作られているのは象徴的だった。

 

UFOは、完全に思念によって操縦されるものだ

 

・ 宇宙人の母星に2日間滞在した。宇宙人の惑星は、地球とよく似た自然環境で、この星には、地球と違って2つの太陽があった。1つは、やや小さめで、2つとも色は我々の太陽と同じような色をしている。

 

ただ、全体的にどんな生物も大きいという印象があった。樹木の大きさも並ではない。およそ30センチの巨大な蜂もいた

 

私がコンタクトしている宇宙人の世界は、独創性、創造性が一番の価値基準になっている

 

ベクターたちの星は、地球から見てカシオペア座の方向にある星。月は地球への宇宙ステーションだった

 

ベクターたちの基地は、水星にある。またアンドロメダ座方面から来ている宇宙人は、木星を中継地にしている

 

金星人とは、金星に中継基地を持っている異星人ということ。発進星の名を宇宙人は明らかにしない

 

・ 宇宙人がらみの「こわい話」としては、「MIB」ことメン・イン・ブラックという黒ずくめの男が現れて、UFO目撃者を脅かすと言うものがある

 

・ 人類は新しい「進化の時代」を迎えた。地球人よ、あなた方はもっと「自由な宇宙人」「記憶喪失の超能力者」である

 

彼らの住居は、母船型UFOである。それがそのまま、高層マンションのように立ち並んでいるのだ。

 

UFOブーム、最近では、1960年の初頭、63~66年、73~77年、80年代初頭にUFOブームが起こってきた

 

・ 「インターネット」よりも「ヒューマンネット」の普及こそが、地球を宇宙につなげるシステム。「選ぶ、続ける、形にする」という3つは、現代人の最も弱い部分である

 

宇宙人の世界は、まるで天上の世界。彼らの住居は、母船型UFOである。それがそのまま、高層マンションのように立ち並んでいるのだ。いくつもの母船型UFOがずらりと並んだ光景は、圧巻である。同時に彼らの資源の利用法、空間の使い方は合理的だなと感じた。

 

・ 建物、つまり母船方UFOには、4種類ほどある。私も乗ったことのある葉巻型以外に、ソフトクリームのような渦巻状のものもあった。

 

・ 街中の道路には、水晶のようなガラス質のものが敷き詰めてありキラキラと光っていた。舗装はされておらず、土の地面である。色は、全体にパステルトーンで淡く、落ち着いた感じがする。

 

人々は、ガウンのようなものをまとい、顔立ちは、ハーフのような美男美女が多い。彼ら同士の挨拶は、目を合わせるだけで、日本人のようにお辞儀をしない。

 

・ 地球上の給料に相当するシステムとしては、カードによる必要物の支給である。一種のIDカードのようなものだろう

 

 

 

『神霊界と異星人のスピリチュアルな真相』

不思議だけど人生の役に立つ

秋山眞人 布施泰和   成甲書房  2013/10/30

 

 

 

<霊界経済を動かすのは自由と愛情>

(布施)秋山さんが訪問したカシオペア座の方角の惑星の宇宙人も、霊界に近いのではないですか。

 

(秋山)そうですね。霊界の丸写しの世界を構築している宇宙人もたくさんいます。僕が訪れた惑星の宇宙人も霊界に近かった。でもまあ、中間ぐらいかな、我々と霊界の。だから霊的世界というのは、僕なんかから見ると、面白くはないです。極めて淡白に見える。とにかく淡く、大きすぎる。

 

<古代人とUFOが織りなす歴史>

<他の惑星へ連れて行かれた秋山少年>

・秋山眞人氏によると、宇宙人は昔から地球を訪問しており、地球の文明に少なからぬ影響を与え続けてきたという。

 

・何を隠そう、秋山氏自身がなにしろ多くの宇宙人と遭遇して、彼らの惑星も訪ね、宇宙の叡智を教えてもらっているわけだから、それが昔の地球人にも起こりえなかったと断言することはできない。

 その驚異の体験談を知らない人のために簡単に説明すると、中学2年生の時にUFOを目撃、その後宇宙人からUFOに何度か乗せてもらうようになった秋山氏は、あるとき水星にある中継基地から母船に乗って彼らの惑星に連れて行ってもらったことがあったという。その惑星では太陽が2つあり、植物も動物も自然界にあるすべてのものは地球よりも巨大であった。彼らの住居は葉巻型やソフトクリームの渦巻のような母船UFOでできており、それらが高層マンションのように建ち並んでいた。秋山氏はそこに2、3日滞在、彼らの生活や文化、スポーツなどを見学したという。

 

・秋山氏は、UFOに乗ってカシオペア座の方角にある惑星に行き、そこに丸2日ほど滞在して戻ると、地球時間では2時間ほどしか経っていなかったと語っている。

 

・秋山氏によると、これまでに母船型UFOには20回以上、小型UFOには200回を超える乗船体験があり、太陽系や別の太陽系の惑星に降り立ったり、宇宙の果てまで行ったりしたことがあるという。

 

 

 

『私は宇宙人と出会った』 

 秋山眞人  ごま書房  1997430

 

 

 

<宇宙人の未来予測(世界編)>

「( 中国)  

中国はこれからの地球の変化の大きなポイントになっていく。とくに内乱が起こる可能性が強く、それが引き金となって第3次世界大戦へと進むかもしれない。香港の返還によって思想的・経済的な大きな遅れがあり、アメリカとの対立構図が更に強くなる。これは東洋文明対西洋文明の対立といってもいい。

また、2015年から2030年の間に4つの国に分割される可能性もある」。

 

 

 

『図解雑学 日本の妖怪』

小松和彦    ナツメ社   2009/7/17

 

 

 

<山奥に潜む異世界 隠れ里と神隠し>

・隠れ里、神隠しは、この世ではない「異界」にまつわる概念である。

 

<山奥や風穴の向こう側にある異界>

・隠れ里は、山奥や塚穴の奥深くなどにあるという理想郷であり、迷い家とも呼ばれる。隠れ里に迷い込んだ者は、美しい景色や美味しい食物を堪能できるが、一度そこを去ると二度と戻れない。しかし、隠れ里で得た椀を持ち帰ると、穀物が湧き出て尽きることがなく、豊かな生活を送れるという。

 風穴や竜宮淵といった場所を通して椀を借りる伝承(椀貸伝説)も、直接隠れ里には迷い込まないものの、風穴等の向こう側に異界の存在を想定していることは明らかである。

 

<隠れ里と神隠しの共通点>

・突然の失踪者があって理由もわからない場合、それはときに「神隠し」と呼ばれた。神隠しには、本人が戻ってくる場合と戻ってこない場合がある。本人が戻ってきた場合にも、失踪中のことを忘却していたり、一部しか覚えていなかったりすることがほとんどである。神隠しに遭う者の多くが子どもである点も、注目すべき点である。神隠しによる失踪期間中は山中の異界を彷徨っていたと考えられており、その原因として最も多く語られたのが、天狗による誘拐であった。心神喪失状態での発見や、場合によっては死体での発見もあることから、神隠しは人々に恐れられる現象であった。

 

・隠れ里と神隠しには、異郷訪問譚という共通点がある。隠れ里における異界がプラスのイメージをもっているのに対し、神隠しにおける異界は、死に関わるマイナスのイメージを負っているといえよう。しかし一方で、神隠しを通しての異界への訪問は、子どもたちにとって多少のあこがれを伴うものであった。

 

<山男・山姥(やまんば) 「山人」と柳田國男>

・山男や山姥を「山人」と称した柳田國男。その実在を強調する論を手放したとき、その関心は「山そのもの」へと向かっていった。

 

<山男・山姥とは?>

・「山人」と書いてまず思いだされるのは柳田國男の『遠野物語』である。遠野出身の佐々木喜善という青年の話をもとにして、1910(明治43)年に成ったこの著作は、「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という印象的な序文から始まる。事実、『遠野物語』には「山人」と「平地人」とが交流する話が数多く収められている。

 

・柳田にとって「山」とは中世、さらには古代の習俗がいまだに息づく空間であった。そして彼は「山人」と「平地人」に「山民」を加え、平地人は日本人の祖先とされる渡来人で、平地に定住し稲作を生業とする人々、山人は渡来人に敗れ山へ逐われた先住異民族の子孫であり、山中を漂泊している者、山民は山人を逐って山に入ったのち定住し、狩猟や焼畑を生業として生活する子孫であるとする。

 

・さらに、柳田は明治後期から大正期の山に関する論考の中で、山男・山女・山童・山姫・山丈・山姥の総称として「山人」の語を用いているが、自らの生きる現在にも山人は実在しているという考えのもとで論を展開している。しかし、この実在証明への熱気は、積極的に資料を提供してくれていた南方熊楠からの批判によって収束していく。南方は山への信仰や伝承に関心をもってはいたが、山人の実在は信じていなかった。

 

<山姥の正体とは?>

・数々の昔話に登場する山姥。その正体は人を食べる鬼女なのか、それとも豊穣の山神なのか。

 

<山に住む女性、山姥の正体>

・山姥は山母、山姫、山女郎などと呼ばれる山に住む女性である。私たちが想像する姿は、大きな口に目を爛々と輝かせ、長い髪を振り乱した老婆ではないだろうか。実際に各地で伝承された目撃談として語られたりする姿は老婆であったり美しい女性であったりする。

 昔話には山姥が登場するものが多いが、そこでは、自分のところに迷い込んできた者をとって食べようとする鬼女の姿をみせる反面、自分を手助けした者には財産を与えるといった、豊穣をもたらす山の神の姿もみせている。

 

・山姥について柳田國男は、山の神への信仰と自ら山に入った女性たちが実際にいたことにその実在性を見出した。折口信夫は、自身の「まれびと」論につなげて、決まった時季に神の祝福をもって里を訪れる山の神の巫女の姿を見出した。そして、それらを受けて従来の民俗学では、山の神が零落して妖怪化したものが山姥であるとみなしてきた。しかし、たとえば新潟県糸魚川市上路では、山姥は都から旅をしてきた高貴な女性で自分たちの祖先に幸いをもたらした実在の人物であるとして、親しみを込めて「山姥さん」と呼び祀っているなど、山姥には多様な伝承があり、その伝承を伝える人々にもさまざまな認識や意味づけがある。

 

<山姥と金太郎>

・金太郎の母親としての山姥。山中で生活する山姥だが、まったくの独り身だったわけではない。山姥の息子として有名なのが金太郎、つまり坂田金時である。

 

・中世後期から山姥は文芸作品に登場するが、たとえば世阿弥作の謡曲『山姥』では、越中越後境の山中で旅人を待ち受ける嫗として描かれている。そしてその後、近世初期に「金時は山姥の子である」という文言が登場し、『前太平記』には嫗姿の山姥が、自分が夢中で赤竜と通じて生まれたのが金太郎であると説明する件が入る。そもそも坂田金時は源頼光の四天王の一人として大江山の鬼・酒呑童子を退治するなど、武勇で名を馳せた伝説の人物である。英雄と異常出生と特殊な生い立ちを語る際に、母に選ばれたのが山姥だったのである。

 

 

 

『UFOと月のミステリー』

月面に存在する異星人の基地と女神からのメッセージ

中丸薫  Gakken 2011/6/8

 

 

 

<地底世界とは?>

・私が京都の鞍馬寺を訪れたときには、「サナート・クマラ」と名乗るシャンバラの王がテレパシーで交信してきた。このシャンバラもまた地球内部の空洞世界にある聖なる都市とされているから、サナート・クマラも地底世界の住人ということになる。

 

・ちなみに、地球の北極と南極にはそれぞれ真直ぐな穴があって、そこは地底世界から地球にやってくるUFOの出入口になっている。

 

・私にメッセージを送ってきた高僧アダマさんが住むテロスも、そんな地底世界の都市のひとつなのだ。彼によれば、そこには現在でも150万人以上の人々が、永遠の平和と繁栄のもとに暮らしているという。

 

・彼らは、12人のアセンディッド・マスターからなるカウンシル(評議会)で、そのひとりである高僧アダマによって平和に統治されている。

 

・驚いたことに、彼らのルーツを辿ると、あの失われたレムリア大陸のコロニーのひとつにつながっているらしい。

 

・ちなみに、テロスのような光の地底都市は地球各地の地下に2500以上もあり、それぞれが「アガルタ・ネットワーク」と呼ばれる光のネットワークで統合されている。

 

・ただし、テロスの位置は地表からおよそ1.6キロの地中だから地底都市といっても比較的浅い(もちろん、それでも十分に深いが)。その意味では地底都市ではあるが、厳密には空洞世界ではない。

 では地球には空洞都市はあるのか。

もちろんある。それが、サナート・クマラが住むシャンバラである。

 

・シャンバラは地球のまさに中央に位置するだけに地底都市のなかでも最大の勢力を持っている。この空洞地球シャンバラで彼らの霊的レベルは、私たち地上の人間よりも格段に進化しているという。なぜなら、彼らは、テロスのようなもともと地表から地底へ逃れた人々と違って、別の惑星系から地球へやってきた人々だからである。しかも移住の初期段階からすでに地下に入ってしまったので、これまで一度も地表で暮らしたことはないのだという。

 

・地底都市間で物理的に移動を行う際には、電磁力を利用した列車が利用される。そして、空洞地球のシャンバラと主要な地底都市との間も、同じ移動システムでつなげられている。

 これは「チューブ」と呼ばれるもので、その交通網はほぼ地球全体におよんで地下に張りめぐらされているという。

 

・チューブはあくまで地球内部の移動交通システムにすぎず、空間を移動するときにはまた別の道具を利用する。それがUFOなのである。当然、それは地球製のUFOということになるわけだ。

 この地球製UFOは「シルバー・フリート(銀艦隊)」と呼ばれ、空洞地球世界の都市アガルタで製造されている。

 

<空洞地球と地中世界>

・地底世界といっても、実際には地中世界と空洞地球のふたつが存在するということだ。

 

 

 

『神仙道の本』 秘教玄学と幽冥界への参入

 学研マーケティング   2007/3

 

 

 

<『図説・仙境異聞』 仙道寅吉の物語>

< 神仙界を探訪した少年の実録>

・幽冥界探求にただならぬ情熱を抱く平田篤胤が、神隠しに遭って江戸に舞い戻ってきた少年・寅吉と、ついに運命的な出逢いを果たす――。

 篤胤は、寅吉の口から語られる異界見聞譚を巧みに聞き出し、克明に記し、精緻に図像化した。かくして、幽世の民俗誌ともいうべき前代未聞の遺産が残されたのである。

 

 <天狗小僧、異界より現る> 

・『仙境異聞』全7巻には寅吉という異能者の言行が詳細に記録されている。”異界もの”という、いわば眉唾物のジャンルでありながら、この記録にはただごとではない圧倒的なリアリティがある。篤胤の方法論は、頑固までの実証主義だった。曖昧で情緒的な記述は、配され。徹底した聞き取りによって事実として納得できた事柄だけが記されていったのである。

 

・文政3年(1820)晩秋、江戸に神仙界と人間界とを往還するという少年が現れた。名を高山嘉津間、通称を仙童寅吉という。

 

 <寅吉、神仙の世界を語る>

・寅吉は、神仙界についてこう語った。7歳のころ、上野池の端の五条天神前で遊んでいると、薬売りの翁が目にとまった。その翁は毎日そこで丸薬を売っていたが、店じまいときは決まって、敷物、薬、葛籠などをわずか34寸の壺にしまいこんでいる。そして最後は自分も片足からスッとその壺に吸い込まれると、壺ごとどこかに飛び去っていくのだ。寅吉は、この謎の翁といっしょに来ないかと誘われた。卜筮を教えてやるというのだ。そして、この翁について自身も壺中に消える。これがすべてのはじまりだった。

 

・寅吉が訪れたのは、常陸国の加波山と吾国山に挟まれた難台丈という行場である。翁は、岩間山の神仙で杉山僧正といい、13の眷属をたばねる天狗の首領だった。この眷属は、人の形をした者はただ一人で、ほかは獣のような姿だ。翁も人間界での仮の姿で、本来は40歳くらいの壮健な山人だった。山人とは仙人のことで、もとは人間だったが修行により天狗に昇華した者をいうらしい。

 

・寅吉はそれから修練を重ね、現界と往還しながら8年の間、仙境の異界に遊んだ。その間、師である杉山僧正とともに、神仙界はもとより世界中、月世界までも遊覧したという。普通に聞けば荒唐無稽というほかない。が、篤胤はこれを信じた。ときに寅吉は神仙界へ戻ることがあったが、このとき篤胤は、竈情僧正にあてた書簡を寅吉にことづけてさえいる。

 

 <寅吉の消息、ふっつり途切れる>

・問うて云わく――『仙境異聞』はほぼ全編、篤胤らの問いに対する寅吉の回答を採録したものだ。

  ときに寅吉は篤胤所持の石笛を見て、神仙界でも見たことのないりっぱな霊物だと判じたりしているが、多くは、神仙界のありよう、山人の服装や料理、遊興などの日常生活、神祀りの方法や祭儀などについて語っている。山人であっても尊い神の姿をはっきりと見ることができない等々。神霊や妖魔の実相を漏らしているところも興味深い。

 

・住人がごく限られた人数の霊的な求道者たちであることや、細部の若干の差異をのぞけば、神仙界はどこにでもある山間の村落のような趣である。だが、ひとつ大きな違いがある。この異界には女性がいないのだ。詳細を伝えることはできないが、寅吉によればそれには深淵な意味が隠されているという。

 

・だが、寅吉に関する膨大な記述は、文政11年8月9日の「気吹舎日記」を最後にふっつりと途切れる。この消息を追ったのが近代の心霊研究家・浅野和三郎で、さらに門下の河目妻蔵によって追跡調査がなされ、大正14年の「心霊と人生」誌になんと寅吉の晩年の姿が報告されたのだ。それによると――。

 

 <秘薬の処方を遺し仙去す―――>

・寅吉はその後、千葉県笹河村の諏訪神社で神職となり、俗名石井嘉津間として天狗直伝の病気治しを行っていたという。これが大評判で、遠方からの訪問者がひきもきらなかったらしい。そして53歳のとき、奉公の女中しほとの間に男児が誕生。河目は、その実子・嘉津平(当時70歳)と孫の二世嘉津間(当時46歳)に取材したのである。

 

・晩年、寅吉は「僧正からの急のお召だ」と言い、惜別の宴を催した。そして日光山を伏し拝みつつ、安政6年(1859)12月12日、眠るように仙去したという。その際、神授秘伝の薬の処方箋とともに薬湯をはじめよとの遺言があり、子孫は銚子で二神湯(通称天狗湯)をはじめた。皮膚病や火傷、冷え性に薬効があり、湯は大いに流行って昭和30年ころまで存続していたとのことである。

 

 

 

『座敷わらしを見た人びと』

高橋貞子     岩田書院      2003/6

 

 

 

<愛らしいザシキワラシ>

・おじいいさんが、真夜中にふと目を覚ますと、なんと、愛らしいザシキワラシが立っていて、寝ていたおじいさんの顔を、くるりと撫でました。おじいさんは、「現れたザシキワラシは、追い払うものではない」と知っていましたから、ザシキワラシのなすに任せて、じっとしていました。

 おじいさんは目を開けて、ザシキワラシの着物の模様や、身丈などを観察しました。ザシキワラシは男の子で、34歳に見え、縞模様の着物を膝あたりまで短く着ていました。脛はやせていました。髪は、てっぺんで束ねて、あとは垂らしていました。ザシキワラシは、そのあとも、くるり、おじいさんの頭を撫でると消えました。

 

・ところが、おじいさんがとろとろと眠ろうとすると、また、ザシキワラシが現れて枕もとに立ち、おじいさんの頭をくるりと撫でるのでした。これを何度もくり返すので、おじいさんは、とうとう朝をむかえるまで熟睡することができません。

 

・朝になると、おじいさんは、「昨夜は、ザシキワラシに攻めまくられた。ザシキワラシは男の子で、髪はカッパコ頭(カッパの頭)のようだった。縞模様の着物を短く着ていて、膝の下のやせた脛がはっきり見えた」と、御舞家の人びとに告げました。

 

<旧安家役場のザシキワラシ>

・役場の職員が宿泊したとき、奥座敷からザシキワラシは現れませんでした。ところが、たまたま奥座敷に泊まったお役人たちの間から、ザシキワラシを見たとの騒ぎがあって、次第に噂が広がりました。

 

・不思議に思った孫吉おじいさんは、泊まるのをためらっていたお役人を見て、「ようごわす。おれがいっしょに泊まりぁんすべぇ」と申し出て、二人は奥座敷に枕を並べて寝ました。

 夜がしんしんと更けても、なかなか寝つかれなかった二人は、やがて外厠を使いに戸外に出ました。地面には、乾き切った大きな枯葉が、空っ風に吹き寄せられていて、歩くと、足もとでがさがさと鳴りました。晩秋のころだったろうといいます。

 

・そのうちに、二人はぐっすり眠りこんでいました。ところが、丑の刻(午前1時~3時)に、二人は突然に金縛りに遭って目が覚めました。体が硬直して、苦しくてたまりません。

 目を開けてみると、なんと、56歳に見えるザシキワラシが、自分たちの掛け布団に上がって、体を押し付けていたのです。しかも、二人の掛け布団の上を交互に飛び跳ねながら、二人を金縛りにしていました。

 

<花いちもんめとザシキワラシ>

・むかし、舘家の座敷に集まった女の子たちが、「花いちもんめ」を遊んでいました。はじめ、4人ずつに別れて向かい合い、8人だったのが、おわりになると9人でした。偶数で遊びはじめたのに、おわりは奇数になっている。ときどきそんなことがありました。それがとても不思議だったのです。

 

 勝った組は、勝ってうれしい花いちもんめ

 負けた組は、負けてくやしい花いちもんめ

 

と歌いながら、どう数えても一人多いので、「やっぱりザシキワラシがいる」と思うのでした。

 だが、見回してみても、だれも知らない顔はなく、みんな覚えた顔ばかりで、それでも一人多いのがザシキワラシだったということです。

 

<姿を見せないザシキワラシ>

・下有芸大屋家は、裏に馬屋が別棟に建っていて、昔は馬をたくさん飼っていました。屋敷は曲がり家で、ふだんは使わない奥座敷がありました。奥座敷には、ザシキワラシが棲みついているということでした。下有芸大屋家のザシキワラシは、真夜中に出てきて、だれもいない奥座敷を、トチトチ、トチトチと、小さな足音をたてて歩き廻っていたそうです。

 

<四つ身裁ちの着物を着たザシキワラシ>

・むかし、小北川屋敷の奥座敷では、日中のだれもいない静かな部屋に、男の子のザシキワラシが現れて、一人遊びをしていることがありました。いつも一人で現れて、とび跳ねるようにして遊んでいました。

 

 ザシキワラシが、二人以上連れ立って現れたことは、まったくありませんでした。小北川家の人びとは、ザシキワラシに気付いても、いつもそっとしておきました。すると、いつとはなしにいなくなるのでした。

 

<水車小屋のザシキワラシ>

50年ほど前まで、尼額大沢集落の春吉さんの家の傍に、水車小屋がありました。水車は、ヒエやアワを脱穀するときや、ムギやキミ(キビ)を粉にするときに、村人たちが共同で昔から使用していました。

 おばあさんから聞いた話ですが、昔、水車の仕事にいくと、ザシキワラシが現れ、一人遊びをしていることがありました。顔の赤い34歳ぐらいの女の子で、いつも赤い半被を着ていたといいます。そのうえ、手の指の一本と、足の指の一本を赤い布端で結わえていたので、村人たちは、足の指も6本あるらしいと噂をしたといいます。

 

<女の子のザシキワラシ>

・平成965日に、岩泉街袰綿のある方(昭和3年生)に伺った話です。

 むかし、村木家の門前を通る人は、大人も子どもも頭を下げて通りました。一時は、学校の先生も、頭を下げて通るよう生徒指導をした時代がありました。

 村木家は武家屋敷づくりで、隠れ座敷もあり、ぴかぴかに拭きあげた回り廊下、どっしりと風格のある中庭、使用人も大勢おりました。

 ある人が、村木家に泊めてもらいました。真夜中に、ふと目を覚ますと、女の子のザシキワラシがごちゃごちゃと出て、大勢で遊んでいました。

 ザシキワラシは、しばらく遊ぶと、ふっといなくなりました。

 

<ちゃんちゃんこを着たザシキワラシ>

・岩泉村木の佐藤レン子さん(大正13年生)に、村木家から嫁いだ丸石家の婆つぁんから聞いたという話を伺いました。平成9116日のことです。

 むかし、村木家の回り廊下を、ときどき女の子のザシキワラシが通りました。足音は聞こえないのですが、ザシキワラシの影が障子に映りました。

 ザシキワラシは、髪をオカッパ頭にして、ちゃんちゃんこを着ていました。障子に映るザシキワラシは、一人だったり、二人連れだったりしました。たまに、ごちゃごちゃと大勢が連れだって通ることもありました。

 

<岩泉尼額大沢の屋敷>

<カプケェ髪の子ども>

・あれは、たしか私が数え年7歳のときでした。大正5年ごろだったと思います。その日は朝から雪が降っていました。昼下がりだったと思います。私が何気なく次の間に入っていきますと、外に向いた障子が開いていました。

 私は、あっとおどろきました。なんと、障子の敷居の内側にザシキワラシが立っていて、外を見ているではありませんか。背丈からみて人間ならば34歳の子でした。

 

・黒っぽい着物を短く着て、足の脛が見えていました。帯を締めないカプケェの男の子でした。そのころ、カプケェ髪といえば、頭髪が伸びたまま、ぱさっと肩に下がっている子どもの髪をこう呼んだものですよ。

 あのときはほんとうにたまげました。

「ザシキワラシが出たがあ!」

私は震えながらおばあさんを呼びに引き返しました。

 

・おばあさんもたまげて、すぐさま私の手を引いて二人で、次の間を覗きました。しかし、ザシキワラシは消えていました。さらにおどろいたことに、たしかに開いていた障子が、何事もなかったようにぴたっと閉まっていたことでした。

 

 

 

『座敷わらしを見た人びと』

高橋貞子     岩田書院      2003/6

 

 

 

・今回の仕事に関し彼女は「はじまりは、昭和20年代半ばでしたが、おわりは平成145月を迎えていました」とし、その間「黒髪の若妻は、今や白髪の姥となって」と記している通り、これは生半の事ではなかった。

 

・それというのも、そもそも“河童”や“座敷わらし”は、通常私共にはこの世における「未確認動物」たちである。しかるに高橋さんにとってのそれは、ともども常日頃共生しているごく身近な存在であって、決してミステリー・アニマルではない。

 

・たとえば、ここに収められている「隅こワラシ」には、中舘家のニヤは、とくべつ広かったので、いつも子どもたちのよい遊び場になっていました。子どもたちが大勢集まって、遊びに夢中になっているとき、大人たちは、ふと、気付くのでした。いつの間にか、顔の色がやや赤い女の子が一人、混じっています。ニヤの隅から、「隅こわらし」が出て、今日も遊んでいるのです。

 

・今回のこの一冊は、ひょっとすると、“『遠野物語』以前の話”といった位置を示すかも知れない。

 

<宮古の港町・鍬ヶ崎>

<入り船を知らせたザシキワラシ>

・「高島屋は、客の対応が早い。女たちがにこやかにむかえてくれて、お膳が素早く運ばれる」と、評判は評判を呼んで、高島屋は大繁盛でしたが、そのわけは、高島屋の二階に棲みついていた男の子のザシキワラシにありました。ザシキワラシは、入り船を知らせる合図を、前もって送ってくれていたのです。その合図は足音でした。

 

 ザシキワラシが、突然、二階の客間のタタミを、ドシドシドシ、ドシドシドシと、踏み鳴らして烈しく飛び跳ねると、階下の帳場に座っていた高島屋の主人は、

 

・「ほら、ほら、ザシキワラシが入り船を知らせているぞ。まもなく港に船が入るぞォー。みんな、大急ぎで二階の客間にお膳を並べろ」と、大声で指図をしました。

 さあ、女たちも浮き浮きとなって、お膳を運びます。すると、ザシキワラシが現れて、お膳のご馳走をつまんで食べてまわりました。少しの間、ザシキワラシは、食べるのに夢中になっていました。お膳とお膳の間を跳びはねながら、少しずつ、ご馳走をつまみました。

 そんなザシキワラシを、高島屋ではだれ一人として、とがめたり、叱ったり、追い払ったりせず、いつも、好きなようにさせていました。

 

・まもなく、船びとたちが、ぞろぞろと高島屋にやってきます。女たちは、揃って出むかえ、客を二階の客間に通しましたが、そのとき、ザシキワラシは、もう消えていました。

 二階に、ご馳走を並べたお膳が、早ばやと運ばれているのを見て、船びとたちは、口ぐちに、「高島屋のこの対応の早さ。女たちの愛敬のよさと接待振りが気に入った」と、大満足でした。

 

・入り船を知らせたザシキワラシの合図は、一度もはずれたことはありませんでした。高島屋の繁盛は、まさにザシキワラシのおかげでした。みんなは、「不思議だ。不思議だ。ザシキワラシには、なんの能力が備わっているのだろう」と、言い合ったといいます。

 

<カッパ頭のザシキワラシ>

・舘家のザシキワラシは、髪を下げたオカッパ頭の、長い袂袖の赤い着物を着た愛らしい女の子で、日中のだれもいない奥座敷に現れて、一人遊びをしていました。

 

 舘家の人びとは、ザシキワラシを見ても、そっとしておきましたので、ザシキワラシはひとしきり遊ぶと、いつとはなしに、ひっそりといなくなっていきました。

 

・奥座敷には、よその人を泊めることがありましが、そんなとき、真夜中にザシキワラシが現れて、布団の周りをぐるぐる廻って遊んでいることもあったようです。でも、そっとしておくと、ザシキワラシは、いつとはなしにいなくなっていました。

 また、舘家にお客用の紅絹で仕立てた組み布団があり、この赤い布団に寝せてもらった人がザシキワラシを見たとも伝えています。

 ザシキワラシという物は、見ても追い払ったりせず、そっとして遊ばせておくものです。ザシキワラシは、その家に福を運んでくる縁起のよい物で、ザシキワラシのいる家は栄えるといいます。

 

<男の子のザシキワラシ>

・ユキさんは、名目利の千葉万太郎さんのところに嫁いでくるまで、五日市の村木家(当主・村木栄彦氏)で育ちました。村木家は、大きなりっぱな屋敷で、見事な中庭があり、中庭をかこむようにたくさんの部屋があったそうです。 

 

・昭和20年ごろのことです。ある日、ユキさんは、床の間の付いている部屋に寝せてもらいました。奥座敷ではありません。やがて、ぐっすり眠っていたのですが、真夜中にふと目が覚めました。

はっきり覚めたので、あたりを見回しました。

 なんと、ユキさんの枕のあたりに、男の子がきちんと座っているではありませんか。ザシキワラシだっ、とユキさんはおどろきました。絣模様の着物を着た34歳の愛らしい子だったといいます。

ザシキワラシが座っていた場所は、床の間の前でしたが、中央ではありません。横のほうでした。

 

・五日市の村木家には、ザシキワラシばなしがたくさん伝わっていましたから、ユキさんは、このときも、「話に聞いていたザシキワラシが、ここに今、出たんだ」と思ったそうです。

 ユキさんは、かねがね「ザシキワラシは福を運んでくる物」と、聞いていましたから、騒がずじっとしていると、やがて、ザシキワラシは消えて、いなくなりました。

ユキさんは、その夜からずーっと今まで、「あの夜、たしかにザシキワラシを見た」と、思いつづけているそうです。

 

<―不思議の国「いわいずみ」からー>

・この本は、岩手県下閉伊郡岩泉町の人びとが、ひそかに語り継いでいた「座敷わらしばなし」を聞き書きして、一冊にまとめたものです。

 もともと私自身の、「座敷わらしってなあに?」という素朴な探求心からはじまりました。上梓に当たっては、次の点に留意しました。

 

1) 聞き書きの軸は、岩泉町とする。岩泉町民の伝承していた話を蒐集しました。したがって、この本の舞台は、岩泉町のほか、近隣の田野畑村、普代村、新里村、宮古市、葛巻町にわたりました。

 

2) 座敷わらしの年齢は、当時のままですから、数え年になります。

 

3) 座敷わらしの性別と、服装について、ことのほかていねいに、くわしく聴き取るよう努めました。

 

4) 座敷わらしの歩く音の表現は、たとえば、トチトチ、トチトチとか、ミチカチ、ミチカチや、ポトポト、ポトポトなど、話者の伝えた通りを大切に扱いました。

 

5) 座敷わらしは、その家に付随した話がほとんどです。したがって、一話ずつについて、それぞれご了解をいただいてあります。

 

6) 岩泉地方の座敷わらしばなしは、この本に収録した以外にもあります。

 

・岩泉地方には、座敷わらしのいた家は、旧屋敷がほとんどですが、50戸を越しましょう。座敷わらしを見た人は、現在3名(女性2名、男性1名)。座敷わらしの騒ぎを聞いた人は数名おられます。

 座敷わらしにはことばがなくて、人間との会話がありません。したがって、ドラマの展開がありません。灯りの少なかった昔、人びとは、何かを見たにちがいありません。いったい何を見たのでしょう。

 

・それは、きっと、きびしかった暮らしの哀歓をないまぜにして、人びとの心が豊穣であればこそ、世にもたらされた物ではなかったでしょうか。

 と、今は勝手な、ささやかな持論に支えられています。思えば、座敷わらしばなしの蒐集には、長い歳月がかかりました。はじまりは、昭和20年代半ばでしたが、おわりは平成145月を迎えていました。

 黒髪の若妻は、今や白髪の姥となって、ようやく上梓にこぎつけようとしていました。そして、見回せば、岩泉町の過疎化、少子化、人口減は、急激にすすんでいました。「これらを本にして後世の人びとに残さなければ」と、私の心ははやりました。

 

 

 

『遠野物語拾遺   retold

柳田國男 × 京極夏彦  角川学芸出版   2014/6/10

 

 

 

171

この鍛冶屋の権蔵は川狩り巧者であった。夏になると本職の鍛冶仕事にはまるで身が入らなくなる。魚釣りに夢中になってしまうのである。

 

ある時。権蔵は山の方の川に岩魚釣りに行った。編籠に一杯釣ったので切り上げ、権蔵は村に向かって山路を戻って来た。

 村の入り口を示す塚のある辺りまで来ると、草叢の中に小坊主が立っている。はて誰だろうと思って見ると、小坊主はするすると大きくなって、雲を突く程に背の高い入道になった。権蔵は腰を抜かして家に逃げ帰ったという。

 

87

綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には座敷童衆がいる。この座敷童衆は元お姫様である。これがいなくなったら家が貧乏になった。

 

136

遠野の豪家である村兵家の先祖は、貧しい人であった。ある時。その人が愛宕山下の鍋ヶ坂という処を通り掛かると、藪の中から、「背負って行け、背負って行け」と、叫ぶ声がする。

いったい何があるのかと立ち寄って見てみると、仏像が一体あるのであった。その人は言われる通りそれを背負って持ち帰り、愛宕山の上に祀った。それからその人は富貴を手に入れ、家はめきめきと栄えて、後裔は豪家となったのである。

 

88

その遠野町の村兵の家には、御蔵ボッコというものがいた。籾殻などを散らしておくと、翌朝。そちこちに小さな児の足跡が残されているのを見ることが出来たという。後に、それはいなくなった。それから家運が少しずつ傾くようになったそうである。

 

89

砂子沢の沢田という家にも、御蔵ボッコがいたという。人の目に見えるものではなかったようだが、ある時姿を見ることがあった。赤塗りの手桶などを提げていたという。見えるようになったら、竈が左前になったそうである。

 

90

同じ綾織村の、字大久保にある沢某の家にも蔵ボッコがいた。時々、糸車を回す音などがしたという。

 

91

附馬牛村のいずれかの集落にある某の家のこととして伝わる話である。先代の当主の頃、その家に一人の六十六部がやって来て泊まった。

しかし、来たところは見ているが、出て行く姿を見た者がいない。

そういう噂である。それ以来その家が栄えたとかいう話は聞いていない。ただ、貧しかったということもないようである。

 近頃になって、この家に幼い女児が顕れた。十になるかならぬかくらいの齢で、紅い振袖を着て、紅い扇子を持っていたという。女児は踊りを踊り乍らその家から出て来て、下窪という家に入った。

 

・これも噂である。しかしそれ以降、このニ家はケェッチャになったと村の者は謂う。ケェッチャとはあべこべ、裏表というような意味であるから、貧富の差が逆転したというような意味なのだろう。

 その下窪の家に近所の娘が急な用で行った折、神棚の下に座敷童衆が蹲っているのを見て吃驚し、逃げ戻って来たという話もある。

 そういう話があるのだから、下窪の家は裕福になったということなのだろう。

 

93

遠野一日市にある作平という家は裕福である。しかし、元々暮らし向きが豊かだった訳ではない。この家には栄え始めた契機があると謂う。

 ある時、土蔵に仕舞ってあった大釜が突然鳴り出した。家の者は勿論、近所の者も皆驚いて見に行ったそうである。音は止むどころか段々に強くなり、小一時間も鳴り続けたと謂う。

 その日から家運が上昇した。作平の家では山名という面工を頼み、釜が鳴っているところの絵を描いて貰い、これを釜鳴神と称して祀ることにしたそうである。今から二十年くらい前のことである。

 

94

土淵村山口にある内川口某という家は、今から十年程前に瓦解した。家屋も一時空き家になっていた。寄り付く者もいないから、当然人気も全くない。しかし誰も住んでいない筈のその家の奥座敷に、夜になると幽かな火が燈る。そして、誰の声かはわからないが、低い声で経を誦むのが聞こえる。往来のすぐ近くの家であったので、耳にする者も多かった。近所の若い者などが聞き付け、またかと思って立ち寄ってみると、読経も止み、燈火も消えている。同じようなことは栃内和野の菊池家でも起こった。

菊池家も絶え、その後に空き家から経が聞こえたりしたそうである。

 

92

遠野新町にある大久保某の家の二階の床の間の前で、夜な夜な女が現れ髪を梳いているという評判が立った。

 近所の両川某という人がそれを疑い、そんなことがあるものかと言って大久保家に乗り込み、夜を待った。

 夜になると、噂通りに見知らぬ女が髪を梳いている。女はじろりと両川氏を見た。その顔が何とも言えず物凄かったのだと両川氏は語った。

明治になってからの話である。

 

162

佐々木喜善君の友人に田尻正一郎という人がいる。その田尻氏が、7,8歳くらいの頃。村の薬師神社の夜籠りの日だったそうである。

 夜遅くに田尻少年は父親と一緒に畑中の細い道を通り、家路を急いでいた。すると、向こうから一人の男が歩いて来るのに出会した。シゲ草がすっかり取れていて、骨ばかりになった向笠を被った男であった。

 一本道である。擦れ違うために田尻少年は足を止め、道を開けようとした。すると男は、少年が道を避けるより先に畑の中に片脚を踏み入れ、体を斜めにして道を譲ってくれた。

 通り過ぎてから田尻少年は父に、今の人は誰だろうと尋いた。父は妙な顔をして誰も通った者はないと答えた。そして、「俺はお前が急に立ち止まるから、どうしたのかと思っていたところだが」と言ったという。

 

163

先年、土淵村の村内で葬式があった。その夜。権蔵という男が、村の者4,5人と連れ立って歩いていた。不幸のあった家まで念仏を唱えに行く途中のことである。突然、権蔵があっと叫んで道端を流れていた小川を飛び越えた。他の者は驚いて、いったいどうしたんだと尋ねた。

権蔵は、「今、俺は黒いものに突き飛ばされたんだ。俺を突き飛ばしたアレは、いったい誰なんだ」と答えた。他の者の眼には何も見えていなかったのである。

 

137

つい、近頃の話だと謂う。ある夜。遠野町の某という男が、寺ばかりが連なっている町を歩いていた。墓地を通り抜けようとすると、向こうから不思議な女が歩いて来るのに出逢った。男が何故不思議と感じたのかはわからない。しかし近付いて能く見ると、それはつい先日死んだ、同じ町の者であった。

 

・男は驚いて立ち止まった。死んだ女はつかつかと男に近づき、「これを持って行け」と言って汚い小袋を一つ、男に手渡した。恐る恐る受け取って見ると、何か小重たいものである。しかし、怖さは増すばかりであったから、男は袋を持ったまま一目散に家に逃げ帰った。

 家に戻り、人心地付いてから袋を開けてみると、中には銀貨銅貨取り混ぜた多量の銭が入っていた。その金は幾ら使っても減らない。

貧乏人だった男が急に裕福になったのはそのお蔭だと噂されている。

これは、俗に幽霊金と謂い、昔からままあるものである。

一文でもいいから袋の中に銭を残しておくと、一夜のうちに元通りいっぱいになっているのである。

 

 

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