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日本人の恥の文化に付け込むのが「ハニートラップ」の本質であり、同時に、これは日本のみならず、一夫一婦制を持つ数多くの近代法治国家の間で行われている、中共スパイの常套手段なのである。(1)


 

 

 

『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』

鳴霞  千代田情報研究会  飛鳥新社  2013/4/6

 

 

 

・来日後の私は、大学や兵庫・大阪の中国語学校で教える傍ら、日本企業の通訳もしていたが、その折痛感したのは「日本人がいかに易々と中国人に騙されるか」である。

 

<中国人学者たちの怪しい行動>

・日本企業は「人権」「友好」「学術研究」という冠をつければ、技術も機密も公開、資金まで提供して丁寧に教えてくれると、中共政府は見くびっている。この状態こそ、日本が「スパイ天国」であると揶揄され、世界から嘲笑の的になっている理由である。

 中共は「スパイの21世紀的役割は、技術的遅れを埋め合わせる機密情報の入手」と規定している。国家として科学技術力が欠けていることを認識し、先進各国の先端技術を欲しがっている。しかし、先端技術を習ったり買ったりするような状況は想定していない。

 中共は、習うこと、または習うことによって入手した技術は古いもので、最先端のものではないという認識を強く持っている。

 

<美女スパイの手口>

・中国のスパイ活動といえば、すぐ「ハニートラップ」という言葉が浮かんでくる。女性を近づけて相手を油断させ、情報を取ったり、工作したりすることであるが、日本の橋本元首相や自民党の前総裁・谷垣禎一氏も、これに引っかかったのではないかという噂がある。亀井静香前国民新党代表は、自民党時代、中国を初訪問する際、後藤田官房長官に直々に呼ばれ「中国の女性通訳には気を付けろ」と注意を受けたという。実際、中国を訪れると、すこぶるつきの美人通訳が現れ、耳に吐息を吹きかけるように小声で通訳するので、非常に困惑したという。

 中国における「ハニートラップ」の歴史は古い。

 

・また、2005年に明らかになった駐上海日本国総領事館の男性館員が自殺した事件なども、現代の「中共によるハニートラップ」として記憶に残る事件だ。

 

・また、あるときは男性館員が犯したささいな法律違反(例えば中国では未婚の男女がホテルの一室にいるのは違法)を他の公安職員に摘発させ、自ら館員を助ける役を買って出た。その際に用いた中国語文書も存在しており、日本政府はこの文書を根拠として、中共政府に「領事関係に関するウィーン条約」違反として抗議した。

 

・古来、「英雄艶を好む」ということわざがある。為政者や事業家など、「精力的に仕事をこなす人々」は「女色を好む傾向が強い」というほどの意味だが、最近では、多くの日本人が「英雄」になってしまっており、それだけスパイの対象も増えていると言えなくもない。自衛隊や領事館員ばかりではない。企業の技術者や最先端の研究を担っている大学の准教授などもその対象であろうし、インターンの大学院生や国会議員の秘書なども「英雄」になってしまうのである。

 

・また、ビジネスは「グリーンと銀座で動く」といわれたが、料亭での政治が姿を潜めると同時に、政治家も、夜の銀座に蝟集することが多くなった。つまり、銀座だけでなく六本木や赤坂など、夜の街は日本のビジネスマンのみならず政治関係の「英雄」も集う場所となっていったのである。そのような夜の街の異変が2011215日の夕刊紙に報じられた。「中国の軍幹部令嬢らが日本で謎のクラブ勤め」という記事であるが、筆者もコメンテーターとして登場しているので、以下に要約を紹介する。

 

 中国人民解放軍の幹部らの複数令嬢が、東京の銀座や新宿のクラブに勤めていることが、在日中国人社会でひそかに話題となっている。金銭的に余裕があるはずだけに、その目的や真意について、「日本の政財界に特別なコネクションを構築している」から「スパイ説」まで、さまざまな憶測が飛び交っている。

 

米国では、2009年だけで、米司法省が捜査に着手した中国絡みのスパイ容疑事件は、なんと400件を超えたという。

 

・最近は銀座でも赤坂でも、中国人の経営するクラブや中国人ホステスが少なくない。中国人のホステス専門の店ではなく、かなり老舗の名前の通ったクラブにも「中国からの留学生」と称するホステスがいることがある。

 

・今はなくなったが、麻生太郎氏が首相になる前、昵懇の女性が経営する「シュミネ」という高級クラブがあり、そこにも、長期間北京出身のホステスが在籍していた。高名な政治家が通う店であるから、政界関係者や官僚、企業経営者などが多く集まっていた。

 

もともと中国には「千金小姐」といって、どんな貧しい家の娘でも美人に生まれてくればカネになるという即物的な考え方があるほどなのだ。

 

日本人の恥の文化に付け込むのが「ハニートラップ」の本質であり、同時に、これは日本のみならず、一夫一婦制を持つ数多くの近代法治国家の間で行われている、中共スパイの常套手段なのである。

 

<嵌められても気づかない国会議員たち>

<世界のどこよりも簡単な日本政界工作>

2012718日号の国際情報誌『SAPIO』に、衝撃的な記事が掲載された。ジャーナリストの山村明義氏の署名記事で、「お寒い事情、赤いスパイへの警戒感ゼロの野田民主党政権を中国への機密情報「筒抜け政権」と命名する」と題されていた。

 

・あまりにも無防備な事態に、日本に詳しい中国共産党のある幹部はこう嘯くのだ。「今の民主党政権は国家情報の危機管理意識が皆無に等しい。我々が日本人に近づき、日本の重要な情報を握るのはもはや難しいことではなく、裏の偽装すらする必要もない

 

・現実に昨年(2011年)7月から11月にかけて、同じ東京・永田町の衆参の議員会館で、中国国内からと思われる国会議員のメールがウイルスに感染し、外国への情報が送られたとされる「サイバーテロ事件」が起きた。

 

・ところで、ウイグル会議開催直前、在京の中国大使名でウイグル国会議員連盟の各議員に、会議への参加を見合わせるよう強く求める要望書が届いたのだ。これだけでも明らかな内政干渉だが、それはさておき、その配布先を見てみると、議員連盟に当時参加していない議員にまで届いている。逆に参加しているのに、抗議文が届かなかった議員もいる。調べてみると、ある時期に作成された名簿を元に送付されていることが判明した。

 では、なぜ中国大使は「日本ウイグル国会議員連盟」の名簿を知ることができたのか。

 

・国会議員には「行政調査権」というものがあって、それを行使すると国の機密資料を簡単に手に入れることができる。以下は伝聞であり、未確認のものであるが、国政に関することなのであえて公開する。まだ民主党政権になる前の話であるが、辻本清美議員の秘書から行政調査権を使ってある資料の提出が要求された。

 

・したがって、財務省の官僚は議員のところに資料を持って直接出向いた。ところが議員本人に面会したところ、そのような調査の依頼はしていないという。

 

・民主党政権下で、首相官邸に出入りできる人間が1300人に膨れ上がっていたというのだ。その中には「80人ほどの左翼的メンバーがいたり、前科一犯の人」もいた。

 

・まさに現在の日本の情報管理の甘さ、為政者たちの情報に対する認識の決定的な欠如を示していたとしか言いようがない。

 

<熱烈歓迎(訪中)の中身>

・彼らは手荷物をあけてみたりなど、すぐわかるようなことはしない。しかし、パスポートは、実は個人情報の宝庫だ。本籍地は当然だが、過去に中国や他の国のどこに滞在したかまで記録されている。中共はその個人の情報を得て、調査を始める。特に、事前に中国の他のどこかを訪れていた場合、たちどころにそのときの行動を調べ上げる。ちなみに、イスラエルの場合、外国人訪問者が希望すれば、入国のスタンプは押さない。イスラエルに敵対するイスラム国に行った場合、迷惑をかけないようにという配慮からだ。

 

・さらに、前もってホテルの部屋などに運び込まれた荷物は、歓迎会の間にすべて中身を見られていると思ったほうがよい。書類などは、コピーされていることが少なくない。

 

・シャワーを浴び、一夜を共にしたりすれば、彼女たちの行為はより完璧となる。当然その前の全裸で抱き合う画像も撮られているので、男性がスパイ行為に気づいて文句を言えば、それを持ち出される。中国の役人に泣きついても、基本的には無意味である。中国には「夫婦、親子以外の男女(外国人同士の場合は除く)が、夜11時以降、ホテルの同じ部屋にいてはならない」とする法律があり、法律違反で逮捕されかねないのだ。

 

2004年、自民党の山崎拓元副総裁と平沢勝栄議員が、中国の大連市で拉致問題解決のために北朝鮮の高官と交渉をしたことがある。この時、ここに書かれたような状況で、日本側の交渉の内容が事前に漏れていたということを、大連の『紡垂新聞』が報じている。このほど左様に、中国では十重二十重にスパイ網が存在するのだ。中国と一度でも関係した外国人はファイルが作られ、それが年々更新され、膨大なものとなっていく。

 

<「合弁会社」での「地下党組織活動」>

・中国には日本の会社が3万社ある。独立会社・日中合弁会社・日台合弁会社・日香合弁会社などであるが、それらの現地企業の中には当然「中共地下党組織」が作られ、情報収集のみならず企業が反中共活動をしていないかどうか、チェックし共産党中央に報告することを任務としている。

 

・筆者は、幼年時代から大学まで、中国の教育を受けてきたが、「南京大虐殺30万人」などということは一切教えられていなかった。なので、中国の教科書に「南京大虐殺」が載っていると知った時には、非常に違和感を持ったものだ。筆者のように外国に出た者は、まだ冷静なものの見方ができるが、そうでない場合、自分の働く日本企業を敵視し、「地下党」員として活動することになんらの痛苦も感じない。こうした工作を、中共は「文化戦」と称している。

 

・最近では日本に帰化した中国人だけで12万人を超えており、彼らには当然選挙権が与えられている。これに永住許可者を含めると、中共のコントロール下にある者の数は膨大で、実に恐ろしい動向である。では沖縄はどうか。永住外国人に参政権を与えようなどと言っているくらいだから、中国からの帰化華人の数など真剣に考えたことがないだろう。しかし、これは間違いなく脅威である。

 

<日本の経済援助が中国のスパイ活動を巨大化させた>

<中共スパイの原点は周恩来>

南京大虐殺が1979年までの中国歴史教科書に一切掲載されていない不思議

まさに、外国人の目から見ても、当時の日本人の記録を見ても、略奪や殺人を犯していたのは中国兵のほうであり、日本軍ではないのである。

 それにしても、人口20万人の都市で30万人を虐殺するなど神様も不可能だ。

 

<中共は中国人のいる場所すべてにスパイを送り込む>

・従って、全軍のなかで、スパイより高級なポストはなく、スパイより機密なポストはない。さらに、すぐれた知恵がなければ、スパイを使いこなせないし、人徳がなければ、よく動かせず、洞察力がなければ、もたらされた情報の真偽を判断できない。

 

 

 

『小野田寛郎の終わらない戦い』

戸井十月  新潮社    2005/7/30

 

 

 

<「中野学校」という異界>

・日本には天皇制がある。それを盲目的に崇拝するんじゃなくて、何故、そういう形態になったのかを教えられた。だから、『天皇機関説』もちゃんと教えられた。政治学としては、これはこれで間違ってはいない。そういう見方も確かにできるって。天皇が現人神だった当時、そんなことを言ったら大変だったんですけど、中野学校では普通に話されていた。

 

・何ごとにつけ、悪い所があれば躊躇せず変えてゆく。それが、まともで確実なやり方じゃないかというのが、中野学校の考え方の根本にあったんです」

 

・番号の入ったプリント刷りの教範は、授業が終わると全て回収された。日本が連合軍に占領されることを予想して、「中野学校」の幹部たちは準備をしていた。小野田たち二俣分校一期生の230人は、日本本土に敵の上陸を許した後の状況を想定して育てられた若者たちだった。

 

・「すでに私たちは、アメリカが原子爆弾を研究していることも知っていた。日本でも研究中だが、向こうは金があり、研究グループも多いから、日本よりかなり進んでいるという情報であった。噂に近い未確認情報ではあったが、私たちはその恐るべき爆弾がやがて登場するだろうことも予想していた

 

・「そうですね。日本が占領されることまで織り込みずみだったんです。でも、それで日本が負けるわけではない。日本の80万の陸軍は中国大陸で戦い続け、ベトナム戦争の時のような結果が出るまでアメリカと戦い続けるという青写真だった。そういう戦略というか、計画のもとにフィリピンに送られたんです」

 

・小野田に、横山静雄中将が言った。

「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」この言葉が、それからの小野田を縛り続けることになる。

 

<「ブラジル」という戦場>

・ブラジルに渡った小野田は、まず514ヘクタールの土地を購入する。場所は、ブラジル中西部、南マットグロッソ州バルゼア・アレグレ移住地。ボリビアとパラグアイとの国境にも近いそこは、広大な南米大陸の、最も海から離れた内陸最深部に位置する。1959年に入植した日系移民を除けば、普通の日本人が訪れることなどまずない土地だった。

 

・育てる牛は、ネローレ種と呼ばれる、インド原産の肉食用コブ牛。牛が売れたら(現在の価格で、15万円ほど)その3分の2が利益になると言われる牧畜業だが、そうなるまでに普通67年かかる。最初の1年が伐開と牧草栽培。牧草が育って種が結んでから2歳の末産牛を放し、その牛が出産するまで1年。そして、産まれた牛が肉食牛として売れるまで育つのに4年から5年。その間は、開拓作業や設備投資に追われるばかりで収入はゼロに近い。

 

・現在の「小野田牧場」は、成田空港より少し広い1128ヘクタールの土地におよそ1800頭の肉行政を放している。小野田は大したことないと言うが、普通の日本人の感覚なら茫漠とした広がりだ。牧柵の長さ48キロ、深さ150メートルの2本の掘り抜き井戸から各水槽への配管は8キロに及ぶ。牧場開拓はもちろん、暮らしに必要なインフラまで、小野田は自分で学び、自分の体を使って整備していった。

 

・バルゼア・アレグレ移住地は、1959年に入植した9家族、54人によって拓かれ、その後、約50世帯になった。

 

・移住してからの7年間は電気もなく、ランプで暮らした。小野田は、護身用と狩猟用に4丁の銃を持ち、ジャガーや大蛇の襲撃に備えた。軽機関銃を手にして牛泥棒と対峙したこともあった。それは、ルバング島での日々とあまり変わらない暮らしだった。唯一決定的に違っていたのは、誰から命令されたわけでもない、自分で選んだ戦争だった点だ。

 

 

 

『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』

「帝国陸軍最後の軍人」が守り通した秘密  

斎藤充功   学研    2015/5/27

 

 

 

・軍服を脱ぎ(昭和18年以降になると軍服で勤務した卒業生がほとんどであった)。背広や現地人の服装をまとい、中国大陸や満州、北方、南方地域などの日本軍が進出した全戦線で謀略戦や情報戦、あるいは諜報戦、宣伝戦、遊撃戦(ゲリラ戦)などの特殊工作を展開したのが、中野学校の卒業生たちであった。

 

・それから6年後の2014年(平成26116日、肺炎で小野田はこの世を去った。91歳だった。結局、小野田の口からルバング島の知られざる真実を聞くことはできなかった。

 だが、小野田が発したあの言葉は、その後も私の頭から離れることはできなかった。

「ルバング島のことだが、今まで誰にも話していないことがあるんだ・・・・」

 もしかしたら、小野田は誰にも話していないルバング島での29年間の真実を、ルバング島の極秘任務の真相を私に話してくれようとしたのではないか――。

 ここから小野田寛郎の真実の姿を追跡する取材が始まった。

小野田はあのとき、私に何を話そうとしたのだろうか。

そして、小野田はルバング島で29年間、いったい何をやっていたのかーー。

 

・堀の記述をみれば、情報班の別班の任務はスリリングだったことが窺える。そして、山路長徳少佐が指揮する「山路機関」が、1942年(昭和17)末、敵の女性スパイを確保して、“2重スパイ”に仕立て上げたという秘話も、堀は同書で次のように書いている。

 本間兵団(注・第14軍の軍司令官で戦後、処刑された本間雅晴中将の指揮する部隊)がマニラに進入したとき、軍参謀の部屋から本間兵団の重要書類を盗もうとした、英国の仏人系美人スパイのリタを捕えて、これに整形手術をさせ、別人の顔に仕立てて遂に日本のスパイとして、マッカーサーが比島から退却に際して残していった米軍の残置諜者を暴き

出し、これに徹底的な打撃(主として処刑)を与えたのも山路機関であった。(注は著者)

 中野学校は「謀略は誠なり」の精神を教育理念としていたが、堀の記述にもあるように、戦地では、スパイ活動によって拘束した敵の工作員を処刑していたことも明らかにされている。

 

30万を超える兵力を要していたとはいえ、堀の分析によれば、方面軍の戦力は兵員、火力ともに米軍の3分の1程度の戦力しかなかったとされる。このような戦況下にあったフィリピン戦線へ小野田らは派遣されたのである。小野田が着任したのは、方面軍参謀部情報班だったが、正式な申告は、マニラから南に100キロほど離れたリパに司令部を置く第41軍隷下の第8師団(弘前)だった。この師団はルソン島南部を防衛する中核師団として奮戦しているが、終戦直前には米軍によって全滅寸前まで追い詰められていた。最後の師団長は、第41軍司令官兼務の横山静雄中将(陸士24期)だった。

 

<残置諜者としての戦い>

・潜伏を決して以降の小野田は、中野学校で仕込まれた諜報員としての本領を発揮し、部下3人を率いて島内で残置諜者としての活動を開始する。

 かき集めて所持していた武器・弾薬は「38式歩兵銃3丁、99式小銃1丁、14年式拳銃2丁、軍刀1本、手榴弾8個」で、実弾は「歩兵銃と小銃弾合わせて2300発、ルイス式旋回機銃弾600発(飛行機搭載の機銃)」(『たった一人の30年戦争』より)だった。小野田らは、これらの武器と装備で米比軍と交戦するつもりでいたが、実戦を経ずして日本は無条件降伏した。対米戦争に日本が負けたという情報を、小野田が半信半疑ながら知ったのは、米軍機から撒かれた“降伏ビラ”によってだった。1945年(昭和2010月末のことである。

 

<帰国後に巻き起こった空前の“小野田ブーム”>

・フィリピンにおけるすべてのセレモニーが終わってから3日後の、1974年3月12日午後4時、小野田は日本に帰還した。

 当日羽田国際空港の第2スポットに、日航機326便は駐機した。空港の送迎デッキには、小野田の帰国を祝う7000人を超える人々が、手に手に日の丸の小旗を振って、万歳を三唱していた。

 

・複雑な心情に揺れ動いていた小野田を尻目に、報道合戦はますます過熱していった。そんな最中に舞い込んだのが、週刊誌『週刊現代』からの手記の執筆依頼だった。講談社が所有する伊豆の別荘で、口述筆記するゴーストライターと生活を共にしながらの執筆だった。

 1974年(昭和49)7月にスタートした連載のタイトルは「闘った 生きた」。帰国からわずか4ヵ月後の手記連載という、異例の速さだった。

 だが、帰国後の猛烈な環境の変化で小野田は心身ともに疲弊したため、日本の生活に嫌気がさし、帰国から半年後には次兄が経営しているブラジルのマットグロッソにある牧場に、雲隠れしてしまった。

 

<シ―グレーヴが説く「山下財宝」伝説>

・フィリピンの金塊にまつわる有名な話に「山下財宝」伝説がある。

山下奉文大将率いる日本軍が、終戦時にフィリピンの地下に莫大な量の金塊を埋め、戦後に引き上げようとしたものの、そのままの状態で眠っているという、いわば都市伝説のような話であり、戦後も詐欺話の枕詞として流布してきたという経緯がある。

 

・第2次世界大戦末期、日本軍はアジア各国から略奪した金・財宝をフィリピンに隠したというのである。

 

<フィリピン金塊譚と小野田寛郎の接点>

・そして“奇譚”ともいうべき、フィリピン金塊譚のバックボーンに関して、1章を割いてまで検証した理由は、小野田寛郎の知られざる任務、つまり、彼が日本が敗戦したという事実を知りながら、ルバング島に潜伏し続けた理由と密接に関係するからである。

 山下は取材の際、私にこう言った。

「フィリピンには、ふたつの種類の金塊がある事実を認識して頂きたいのです。ひとつは、“機関”によって計画的に隠匿された大量の金塊。もうひとつは、軍によって隠された軍資金です」

 ふたつの金塊譚が合体して、途方もない量の金塊がフィリピンに眠っているという「山下財宝伝説」が形成された。

 

・そして、シーグレーヴは『GOLDWARRIORSで、小野田の任務を“皇族によって隠匿された金塊を監視すること“だったと書いた。しかし、私は中野学校関係者の取材を通して、小野田に課せられた任務は、シーグレーヴが説く任務とは違うものだったのではないかという考えに至った。

 

 では、小野田の任務とは何だったのか――それは、山下の証言にあった“軍によって隠された軍資金”を守ることだったのではないか。そして、その軍資金とは、“マル福金貨”と呼ばれた、ゴールド・コインだったのではないか…………。

 

<運命のゴールド・コイン――マル福金貨>

<「福」という文字が刻印された金貨>

<「彼の使命はマル福金貨を守ることにあったと思う」>

・――小野田さんのルバングでも本当の使命は、何だったと思いますか。

Kは「推論だが」と前置きしたうえで答えた。

「残置諜者としての任務を果たしたわけです。しかし僕は、彼の本当の使命は、“マル福金貨”を守ることにあったと思う。

 戦地は終戦末期になると軍票はまったく使えず、物資の調達はマル福(金貨)でやっていた。杉兵団がルソンからルバングにまる福を運び込んだのは、尚武集団の命令で軍資金の安全を考えたうえでの秘策だったと思う。目的は軍資金の隠匿。ちょうど、小野田が派遣された時期に運び込んだのではないか」

 

<師団司令部から届いた“重要なブツ”>

・小野田が「日本は戦争に敗け、終戦を迎えた」という事実を認知していたことはまちがいない。にもかかわらず、日本の敗戦を認知していた彼が、ルバング島に29年間も潜伏し続けていた理由は、我々が与り知ることのできない“特殊な任務”を彼が背負っていたからだとしか考えられない。

 その“特殊な任務”とは何か――それが、前出のKの証言にもあった「マル福金貨を守ること」だったのではないか。

 

<“虚像”という重い十字架>

・小野田は昨年1月、入院先の築地・聖路加国際病院で91歳で亡くなった。

 19743月に帰国して以来、小野田は自身の思惑とはまったく別の次元で創られた「英雄・小野田寛郎」という“虚像”を、あらゆる場面で演じ続けてきたのではないかと思う。

 

・小野田寛郎は、29年間、ルバング島で何をしていたのか――。

 この問いに対する私の見解はすでに述べた。山下の見解が正しいのか私の見解が正しいのか――それは読者の判断に委ねたい。いずれにしろ、本書で明らかにした小野田の実像は、残置諜者としての任務を全うした、命令に忠実な、紛うことなき「帝国軍人」であった。その事実はけっして揺るがない。

 29年間の潜伏と引き換えに小野田が得たものは何だったのだろうか。ブラジル移住の資金も、隠匿された金塊から得たという話も一部では囁かれた。しかし、それは違うだろう。当時、出版界で小野田の手記の印税は「数千万円から1億円」と噂され、話題となった。おそらく、移住の資金は手記の印税から捻出されたはずだ。

 

 

 

『天皇の金塊』

高橋五郎  学習研究社   2008/5

 

 

 

<明治以降の日本における最大のタブーと欺瞞>

・「金の百合」と称せられる“巨大資金”がわが国には隠匿されている。戦争を繰り返した大日本帝国が、“天皇の名”のもとにアジア各地から強奪した戦利品の集大成である。現代の日本社会をも動かしつづけているという、この略奪財宝の実態とは果たして何なのか?{金の百合}を軸に見えてくる、これまで決して語られることのなかった、明治以降の日本における最大のタブーと欺瞞を白日のもとにさらす。

 

・繰り返すが、ほぼ150年前のいわゆる“近代ニッポン”の始まりは国民のための近代社会の始まりとはまるで無関係だったということだ。要するに明治維新を革命と讃えている間は、大正・昭和・平成と続く時代の真実は見えないようになっているのである。

 

<ヒロヒト名義の大量金塊がフィリピン山中に今も隠匿>

・「あの戦争の最中も、昭和天皇のマネーはバチカン系の金融機関で運用されていたものだったよ」。私が元ナチス・ドイツのスパイ(スペイン人ベラスコ)から、昭和天皇の名義とされる「天皇の金塊」=秘密マネーがバチカン系の銀行で運用されていた――こんな話を聞かされたのは1980年(昭和55年)の初頭だった。

 

・ベラスコ(南欧系、熱血漢)は戦時中、戦費の調達目的で秘密交渉を担当したナチス親衛隊大将で保安諜報部外務局長の「RSHA」ワルター・シューレンベルグ(北欧系、青白き天才)と共によく銀行に出向いていた。訪問先はドイツ国立銀行ライヒスバンクとスイスに新設された銀行――金塊を担保に、参戦国全ての戦費融資に協力する唯一の“戦時”バンク、国際決済銀行(通称BIS)だ。

 

・ドイツ国防軍情報部(アプヴェール、長官カナリスはシューレンベルグと犬猿の仲)に所属するベラスコはSSシューレンベルグの活動エリアよりも広く、ドイツ国内はもとよりスペイン、イタリア(バチカン教皇国)、日本も含んでいた。

 

・ベラスコが機関長を務めた情報機関(TO)は、歴史と宗教上の経緯から南米スペイン語圏の大小の諸国と太平洋の島嶼フィリピン諸島を活動の範囲に含んでいたのだ。

 

・私はベラスコが勿体をつけて語ったバチカン・マネーの話を聞いてからほぼ数年後の1988年頃、今度は乾き切ったシュールな金塊話を日本人の国際金融ブローカーたちから聞かされることになる。それは昭和天皇(日本皇室)所有で知られた金塊が天文学的規模で現在もフィリピン山中に隠置されているというもの。天皇家名義の金塊のほかにバチカン名義の金塊も含まれるともいう。

 

<“霞ヶ関埋蔵金”こそ実は「天皇ファンド」「天皇の金塊」の利息分>

・福田新総裁が誕生して、民主党が参議院を制している環境のなかで道路特定財源の扱いを巡る攻防が喧しい。そんな中で元自民党幹事長の中川秀直が「予算が足りなければ“霞ヶ関埋蔵金”を使えばいいじゃないか」と発言。これが2007年(平成19年)末の永田町のちょっとした話題になった。中川のいう埋蔵金はいわゆる「M資金」などとも呼ばれた出所不明の部類の資金のことなのだが、それについて新聞はもとより、政府実力者たちすら本当のこと=「金の百合」をまったく知っていなかったようだ。

 

<マルコス大統領が「金の百合」を換金するには黄金商売人一族の裁可が必須>

・フェルディナンド・マルコス。彼は一介の弁護士からフィリピン大統領に成り上がった立志伝中の人で、大統領の座を「金の百合」資金で買い取った人物でもある。その後ろめたい秘密を炙りだす最初で最後のキッカケが「マルコス裁判」だった。マルコスはこの裁判で大統領の座から失墜する。民間人の山師が掘り起こした「金の百合」の一部をマルコスが強奪したことから争われたその民事訴訟裁判は、マルコス被告に賠償金430億米ドルを支払わせた。

 

・賠償金の原資もまたマルコスが地下サイトから秘密裏に回収した「金の百合」の一部が生み出したカネで賄っている。マルコスが大統領時代に地中から回収して換金、内緒で懐に入れたカネはおよそ16300億米ドルにものぼっていた。

 

<「黄金ファンド」は「四ツ谷資金」「キーナン資金」「M資金(吉田資金)」>

・「黄金ファンド」(基金)は、1946119日の“東京裁判”(極東国際軍事裁判)をまるで待ちかねていたかのように動かした。裁判向けの経費支出は、フィリピン山中から初めて金塊を堀り起こしたアメリカの将官(前述)であったサンティとランスデールの上官で日本占領軍司令部G2のチャールズ・ウィロビー将軍が担当した。ウィロビーは「黄金ファンド」を「四ツ谷資金」「キーナン資金」、そして、のちに両資金を合体させる通称「M資金」に分けて支出した。「四ツ谷資金」とは当時の歓楽街で、無法者がはびこる新宿四ツ谷界隈をもじった呼び名だといわれる。

 

・たとえば、中国、満州それに朝鮮半島方面にスパイを送り込んだり、国内の左翼活動家や団体を弾圧する指揮現場が四ツ谷周辺にあったからだとも言われる。基金は反共作戦に動員する右翼活動家や暴力団を支援する資金にも使われると同時に、左翼勢力にも裏面で渡された。日本の共産党が戦時下も戦後もアメリカ共産党と教会経由の資金援助で活動していたことはよく知られている。

 

<昭和天皇の国師、三上照夫は物理霊媒の亀井三郎と双璧の博士>

・三上は毛沢東、周恩来の学者ブレーンたちと協議して日中国交回復時の対日賠償請求を中国側に断念させた人物だ。三上は3人のニッポン人国際法学者を同行、中国側の専門家たちとの間で日中の歴史(戦争)問題を事前に片付けて田中角栄の訪中をスムーズにした。

 

・その外交交渉の裏舞台で三上は「兵馬俑の共同開発をしないか」。中国側からそんな話を持ちかけられた。三上が共同発掘を断った理由は「地中に意念が残されていて危ないからだ」とのことだった。ここで、国師三上照夫の人物像について、三上を慕った周辺の人物たちが知る範囲と、三上が私に直接語ってくれた範囲で説明しておこう。

 

・終戦時、三上は大正から昭和にかけて活躍した京都の仏教学者(文学博士)でのちに禅の巨匠と呼ばれる今津洪嶽(18411965)の愛弟子であり、ユダヤ・キリスト教の経典をへブライ語で通読する若者の1人として、皇居に招かれて昭和天皇にユダヤ・キリスト教とは何かを進講し

ている。

 

<三上が物理霊媒力を備えた若者だったことを知る人は少ない>

・日本で稀有な能力が研究者の手で改めて明かされた人物は昭和初期のいわゆる物理霊媒師の亀井三郎。本稿はすでに故人になった亀井三郎の超能力者ぶりを例に、三上照夫が備えた物理霊媒能力を説明しておこう。物理霊媒という超能力は、たとえば物体に手を触れないでその物体を空中浮遊させたり、距離と無関係の遠い場所にある物体やあらゆる状況を鮮明に透視する能力のことだ。こうした超能力を三上は備えていた。

 

1923年(大正12年)日本心霊科学研究所を創設した浅野和三郎は、亀井三郎の超能力ぶりを知り、人物亀井の出現はペリー提督の黒船登場にも勝る、と驚嘆したと伝えられている。ちなみに浅野和三郎は日本心霊科学の父と呼ばれた人物だ。

 

・亀井は彼らの面前で数種の楽器を空中浮遊させ、それぞれの楽器から音を鳴らして見せた。また床に置かれた紫檀製の重いテーブルを空中に浮揚させ、そのテーブルを数人掛かりで床に引き戻させたが、テーブルは天井に張り付いたまま動かなかった。

 

・昨今のテレビ番組が紹介している「超能力者」たちのそれらのようにも見えるが、亀井の能力は似て非なるものだった。亀井には心霊の存在をカタチで現す能力もあった。霊媒亀井の鼻孔から溢れ出る白い固形の流動物に人間の顔写真(いわばプリントゴッコに写った写真)のシールを貼ったような著名な人間の顔が次々と現れる霊力だ。

 

・専門家たちはその現象をエクトプラズムと呼んでいる。つまり、見えない霊を見えるカタチに変える物質化現象のことだ。亀井は心霊人間であって娯楽向け手品師ではない。超能力ぶりを示している場面は大手新聞にも掲載されている。

 

・三上照夫は文学博士、経済学博士で、東大・京大・大阪大教授を歴任し、佐藤から中曽根まで7代、22年間内閣ブレーンを務めるとともに、亀井三郎と同じ古神道の世界に生きる“超能力者”だった。その三上に亀井は接触、三上が主宰する古神道系団体「御上教苑」で活動した。亀井は自らも神霊界や古神道の勉強道場「白日教苑」を支援者を得て進めていたから三上とはすぐに共鳴した。

 

・「先生(三上)は私が娘時代に8畳間ほどのお部屋で私の父とお話をされている間に、お部屋の片隅に置いた私の人形を、お部屋の反対側の隅っこに手も触れずに移動させました。私は驚きましたが今はもう驚きません」

 

 1992年頃、私は三上が上京するたびに三上身辺のお世話係を務めている中年女性からこの話を聞いた。私は天皇の国師三上がそれまで黙して語らなかった三上の一部を知ったものだった。

 

<「黄金ファンド」の存在と活用法を熟知の三上照夫は松下幸之助や歴代総理の指南番>

・三上青年がGHQ占領中の皇居訪問以来再び皇居に招かれて天皇の国師として仕えてきた事実は現在もごく内輪の関係者が知るのみだ。早すぎた晩年を迎えて鬼籍に入った三上が、その直前に自身から実は、と天皇に仕える立場を語ったのを聞かされた内輪の人々のほかには知られていない。天皇の侍従長、入江相政が三上を大切にしたという説とその逆の説もあるが、真実を知る者はいない。

 

・三上は次の皇太子徳仁(浩宮)親王の先生役を再び務めるつもりだと私に嬉しそうに語っていたものだった。昭和天皇の国師のみならず佐藤栄作首相からその後に続く歴代の首相の相談に乗ってきていた。

 

・三上に相談を続けてきた実業家の1人に松下幸之助がいた。松下は三上から「帝王学」を15年間教えられてきた。佐藤政権以来の大蔵、通産、外務など主要各省の上級官僚たちも毎年正月には、内政、経済、外交などの見通しを三上から示唆されていた。

 

・三上は「黄金ファンド」の存在と活用方法をよくよく心得ていた。三上の周辺のごく内輪の人も「黄金ファンド」(秘密資金)の存在を知らなかったが、三上がしばしば口にする「産業育成資金」(前出)については周辺の人々も頭の中では知っていた。周辺の人々はおそらく今も、三上が口にしたアメリカに積んである「産業育成資金」、それが「黄金ファンド」のことで、“天皇マネー”に端を発した秘密資金だとは気づいていないだろう。

 

 ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)からの情報

小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)319 - 平成26年(2014年)116日)とは、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。

 

情報将校として大東亜戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たす。

 

 

 

『舛添要一 39の毒舌』

舛添要一、おちまさと  扶桑社   2010/6/24

 

  

 

<毒の「怒」>

・(おち)「日本はもう間に合わないのではないか?」

 最近、いつもこの言葉が脳内をリフレインしている。長期化する経済不安、雇用率の低下、年間自殺者3万人、期待さえしなくなった年金問題や医療問題、そして沖縄の米軍基地をはじめとする不透明な防衛問題など挙げればきりがない不安要素でいっぱいのリュックを背負って、しかも65歳以上人口が増加する少子高齢社会へ向けて日本は、かつて右肩上がりに登ってきた近代という山を、五木寛之さんの『人間の覚悟』からの言葉を借りれば「下山中」なのである。

 

・現在も様々なところで「総理大臣になってほしい政治家ランキング」で第1位の舛添さんは、前回お会いしたときにハッキリ、「総理大臣になることを旗印にやっている」と何度も答えてくれた。なぜかと聞けば「現在の総理大臣にならなければならない要素をすべて備えているのは自分であり、自分が総理にならなければ何も変わらないし、総理になれば変えることができる!」と断言してくれた。ということは本人と国民の相思相愛ではないか。

 

<毒を以て毒を制す>

・落選後の行動に政治家の覚悟が表れる。

 

<国会議員定数 小選挙区というポピュリズムの象徴>

・(舛添)もともと二大政党制が脚光を浴びたのは、自民党政権があまりに長く続きすぎたことで政権交代がなくなってしまったことにあるんです。同程度の力を持つ対抗勢力があれば、政権交代も可能になる。すると健全な政局運営ができるようになり、野党による与党の監視機能が強まると期待され、その過程で小選挙区制が導入されたんです。ところが導入されたこの制度は、得票率が議席数に反映されない。

 

・実はイギリス型のウェストミンスター・モデルというのは世界的にも珍しい制度で、イギリスの他ではニュージーランドなどごく一部の国でしか採用されていない。日本でも1993年に細川内閣が誕生したとき、自民党・社会党という二大政党が存在していましたし、当時の選挙制度は中選挙区制。そもそも小沢の言う「小選挙区でないと二大政党制や政権交代が起こらない」というのは事実ではないんですよ。しかも小選挙区というのは人気投票のようになりやすく、結果、まともな政治家が育たないし、政策論争にもなりづらい。

 

・まずは定数4くらいの中選挙区、そのほか、フランスのような2回投票制や、小選挙区・比例代表併用制という手もある。いずれにせよ、ただの小選挙区制というのは、単なる人気投票になってしまう。利権団体に利用されやすい参議院の全国比例代表制も含めて、根本的な選挙制度改革が必要なんだよ。

 

<現行の選挙制度は廃止し次なる制度に移行せよ>

・(おち)個人的にはいい加減、ネット選挙をどうにか実現してほしんです。まだ菅内閣が発足したばかりで、今回ネット選挙が実現するかどうか、審議が継続されるかどうかも微妙な情勢ですが、有権者に一番ダイレクトに政策を訴えかけることができるツールがいつまでたっても導入されない。それこそ一番ダイレクトに政策を訴えかけることができるツールがいつまでたっても導入されない。それこそ今年のイギリスでの選挙はネットでの活動が重視されたとも聞いています。

 

・(舛添)ネットもある一定層が集中するから、やはり街頭などでの選挙活動とのバランスは大切だと思うけど、やはりもっともダイレクトに、そして正確に、政策や思いを伝えることができるツールが禁止されているのは時代遅れだよね。すべてのツールを解禁した上で、あとは候補者が自由に選べるような環境になるといいんだけどね。

 

・(おち)なりすましの問題がある。そんなのツイッター本社に認証アカウントを出してもらえばいいのに、僕だって認証アカウントもらえているんだから「日本の選挙で使うから候補者は本物認証しろ」って言ったら一発でしょう。その上でUstreamなどのライブ動画配信サイトで政策を訴えて、リアルタイムでツイッターから質問を募り、意見を交わしていく、もちろん全員じゃなくても、そうした候補者が増えれば選挙自体への関心も高まり、投票率も上がると思うんです。

 

<要するに…… 候補者と有権者が意見交換できるネット選挙を一刻も早く解禁すべし>

 

・(おち)そこまで含めての規制緩和だと思うんですけどね。あと、規制緩和でもうひとつ、舛添さんとしては外国人参政権についてどう考えてらっしゃいます?

 

・(舛添)いまの民主党案には反対だね。というのも、居住歴などの条件を満たせば日本は国籍を自由に取得できる国なんです。やはりその国の権利をすべて享受しようとするなら、まず国籍を取るのがスジだと思うし、ちゃんと住むなら帰化したほうがいろんな面で圧倒的に便利ですよ。まだ日本では「××系日本人」という言い方がないですよね。血統主義が原則になっているから仕方のないところもあるんですが、例えば、ツルネン・マルティなんて議員は日本国籍を取って、「弦念丸呈」という漢字名も持っているフィンランド系日本人。アイヌや琉球民族のことも含め、そろそろ「日本人」という定義を一度話し合う時期に来ているのかもしれない。だから、その前に一足飛びに「外国人参政権」の話は順番が違うと思うんですよね。

 

<要するに……外国人参政権を論じるより帰化したほうが本人も便利>

<教育改革  目を覆わんばかりの公立に競争まみれの私立>

・(舛添)まず、教育にカネがかかりすぎるんだよね。なぜそうなっているかというと、公立の学校がもうヒドいんだ。だから私立にやらざるを得なくなる。最初は俺も「公立でいいじゃないか。俺だって小学校から高校まで公立で、塾に行くカネもなかったけれど何とか東大に入れたぞ」と言ったら、女房に「バカじゃないの?」となじられた(笑)。それで近くの小学校を見にいったら、もう女房の仰る通り、結局、お受験街道まっしぐらということになっちゃうんだ。

 

・いやいや、私もそう思っていたの。でも現実は甘くなかった。幼稚園からお受験しなきゃならないのかって衝撃を受けたよ。結局、上の子は国立の付属に行って下の子は慶応に行ったけど、本当にカネも手間も尋常じゃない。コネなんてあってもムダなんだから。当初は学習院に行かせようと思って、学長が知り合いだから「よろしくお願いします」と頭を下げたのに、国会で面接に同伴できなかったら落とされたもん。正直頭にきて「漢字読めない首相を輩出するような学校はこっちから願い下げだ」とも思ったけど、まあそれくらいいまの受験は大変だよ。

 

・もの凄く端的に言うと、きちんと躾されていないバカ親が甘やかした子どもを公立に送り込んでいる。もちろんきちんとした親子もいるけど、やっぱり悪貨は良貨を駆逐するから、全体としては荒れていくよね。子どもなんてそんなに清廉潔白に、強く生きられるわけではないから。これは少子化問題とも絡んでくるんだけど、そこで兄弟がいると違うわけ。助け合ったり、まあ、たまにはいじめられたりしながらでも、共生関係の中で生きていくことを家庭や、それが無理でも保育所で学べるとずいぶん違うと思うんだけど、一人っ子が多いからそこを支援できるような仕組みをつくっていかないといけない。

 

・飛び級のような制度はあってもいいよね。社会や企業でも年功序列じゃなく、デキるヤツはどんどん上り詰め、外に出ていくようになっている。追い抜くほうも抜かれるほうもそうしたリアルな体験は早いうちに積んでおいたほうがいいと思う。若いというのは確かにそれだけ才能というか、ひとつの要素とも言えるけど、いつまでもそれではやっていけない。自分なりの武器が必要だということに気づくのは早いに越したことはないよね。

 

・現在の633という学制は、できれば一貫教育にしたいよね。そのなかで学習習熟度に応じて、年次をある程度自由に動かせるような仕組みができるといい。教育にも規制緩和が必要なんだ。ただやりすぎると今度はまたお受験の新たな仕組みを生み出すことになるから、システムの構築には熟考を重ねたい。

 

・大学教育も規制緩和と開放が必要だよね。海外の大学と比較したときに、日本の大学って国際系の学校や学部を除いて外国人留学生が非常に少ないんです。大学も経営が大変だというなら、外需に目を向けないと。特に音大や芸大は少なくともアジアのなかではトップレベルにある。そこに外国人留学生が来れば、新たな才能の発掘にもつながるし、家族や友人が日本を訪れるようになれば、外貨の獲得にもつながる。これは国策としてやってもいいレベルですよ。

 

<要するに… 教育にも規制緩和が必要なんだよ>

<少子化  子育て=カネという最悪の手抜き対策>

・(舛添)それはさておき、妊娠や出産という経験を同居家族から引き継げないのが痛いよね。昔は世代間のバトンタッチが自然にできた。じいちゃん、ばあちゃんがいて、子育ての経験を自然に次の世代に伝えてくれた。ただ現在ではその役割を「家」ではなく社会が請け負うようになった。ところが、いざそうなってみると「妊娠」→「出産」という極めてパーソナルな経験の受け渡しがしづらくなってしまっている。

 

・(おち)先ほどの子ども手当のところでも話に出ましたが、僕らが用意してほしいのはお金じゃなくて、「環境」なんですよ。こればかりは個人がどんなに努力しても手に入らない。昔の「家」の機能の一部を社会が肩代わりしてくれるとするなら、欲しいのは子育てを無理なくできる経験の蓄積と環境なんです。保育所って東京だけでも8000人待ちなんですよね。カネをバラまいて終了って、どんだけ手を抜いているのかと頭にきますよ。

 

・(舛添)そう。カネをもらっても意味がない。仕事をしている女性が何の心配なく一時キャリアを中断して育てられる環境がない。カネじゃないんだよ。しかもさっきの子育てにカネがかかるという話とも連動していて、例えば韓国は競争社会が行きすぎて教育にカネがかかるようになって、いま出生率が日本よりも低くなっている。合計特殊出生率が1.15と日本よりも0.2ポイント以上低い。といっても日本もまったく胸を張れたものじゃない。ヨーロッパの主要国には1.9程度ある国も多い。アメリカに至っては2.1近くある。この数字は何としてでも上げていかないと、国家存亡の危機だということがわかっていない。

 

<要するに… 欲しいのはカネじゃなくて仕組みです>

<国内産業 保護主義のバカ正直に挑めば苦しいのは当然>

・(舛添)とにかくまずは民間企業には体力をつけていただきたい。企業自身や、そのサービス、製品などに付加価値をつけると言い換えてもいい。先ほどから何回も話題に出ているように、現在の日本社会は経済的にも非常に成熟している豊かな国。つまりここから何もせずに爆発的な成長を望むのは難しい。そうなると、国内のサービスなどを海外でも展開しなければならない。競争相手が海外である以上、国際競争力を身につけてもらうには、規制はどんどん緩和していかないといけないんです。

 

<要するに…… 競合は海外にあり自力で勝てる自力を得よ>

<農業 足元にある財宝に気づかなかった我々>

・(おち)コンテンツ産業、医療・介護サービスともに、やはり日本にとっての生命線は産業を創出し、海外に展開していくという形なんですね。

 

・(舛添)資源を持たない国だからね。だからこそ、既にトップランナーとしての技術を誇る分野では徹底的にフォロワーを引き離す圧倒的な存在感がなければならない。連舫の事業仕分けと逆で、「1位じゃなきゃダメなんです」(笑)。

 

・(舛添)さっき、ドリンク剤を台湾に持っていくと喜ばれるという話をしたけれども、まったく同じことが農産物でもある。私はタイの王族や政治家と付き合いがあるんだけど、彼らはメチャクチャ豪勢な生活をしているわけ、宮殿のような大豪邸で使用人を何人も抱え、車庫には高級外車が何台も並んでいる。そんな彼らから招待を受けるたびに何を持っていったらいいか、迷うんだよ。それであるとき、もう何を持っていいかわからなくなって懇意にしている政治家に思い切って何がいいか聞いてみた。すると「日本のメロンが欲しい」と言うんだよ。

 

・例えば中国や台湾の要人は日本のコシヒカリ以外口にしないというし、実は小泉内閣時代に国産リンゴを中国に輸出展開しようとしたことがあった。私の故郷、福岡の名産品であるイチジクを空輸で台湾に送ると、あっという間に売り切れるという。いま福岡のイチジク農家は「イチジク御殿」と言われる豪邸が建つほど儲かっている。

 

・先ほどのメロンもそうだが、国産のフルーツは海外産のものに比べて甘味が強い――糖度が高い。職人気質の日本人は気の遠くなるような組み合わせの交配で品種改良を繰り返し、どう育てれば味が向上するか徹底的に研究する。例えば北海道の夕張では、メロンの種を金庫に入れて保管するほど大切にしているというんだ。

 

・口蹄疫で和牛の輸出が止まったのも危機管理意識が本当にないんだよ。この数年牛肉の輸出は年々拡大していて、2009年には2006年の8倍量にあたる500トン以上を輸出できるようになった。ニューヨークの高級レストランで和牛が人気で、「他の肉ではこの味わいは不可能」とまで言わしめるほどだという。畜産まで含めた日本の農産物には世界を圧倒するポテンシャルがある。ただ、残念なことに民主党政権はその真価を理解していない。もし理解していたら、口蹄疫に対してあんなひどい対応を取ることはなかっただろうし、そもそも農家に対して戸別所得補償制度のようなバラマキ農政を行うこと自体、民主党の農業への無理解を象徴している。農家の収入は天候など不確定要素に左右されるから、彼らは当然不安になる。だが政治家がなすべきは、バラマキではなく彼らが生産する農作物のポテンシャルを彼らに正確に伝えること。そしてそこにある付加価値をビジネスとして成立させる手伝いをすること。技術を発達させ、生産者を強くするのは保護主義ではなく競争だ。こんなことは、他の産業で散々見聞きしているはずなのに、目先の票欲しさにバラマキ農政に手をつけてしまった。

 

 

 

『日本新生計画』  世界が憧れる2015年のジパング

舛添要一    講談社    2010/5/27

 

 

 

<約100兆円のGDPギャップ>

・日本国自体も20103月末現在で882兆円の負債を抱えているが、そこから政府資産を引いた純債務で考えると、他国とさほど変わらない。約100兆円のGDPギャップ、すなわち需要不足を上手に政府支出などで埋めていけば、国民に負担をお願いすることもなく、国の負債を解消していける可能性も高い。

 

<国会議員半減で政治家の質の向上を>

<教育・医療の充実で70歳現役社会を>

<福祉の原則とは何か>

・私は、母の介護がきっかけで政治家になろうと決心した。介護、医療の充実、高福祉社会の実現は、私の本源的でなおかつ永遠のテーマである。

 福祉の原則は「障害を持っていても健常者とすべて同様な生活ができる」ということである。明日から車椅子の身になっても健康な時と同じように街に出られる、健康な時と同じように生活ができるようにするのが福祉だ。

 

<「元気なお年寄り」で財政再建と景気浮揚を>

・私の母の認知症が一気に進み、体力が衰えるきっかけになったのも、やはり自宅の玄関先での転倒事故だった。そこで、まさに「転ばぬ先の杖」で、家の中であれ、街の中であれ、段差をなくしてバリア・フリーの街づくりを進める必要がある。

 

<医療・介護問題の解決はコミュニティ再生から>

・もう一つ忘れてはならないのは、医療も介護もコミュニティでしかやれないという福祉の原則だ。

 私は、東京から故郷の北九州八幡東区に通って、認知症になった母を介護した経験がある。親などで、どんな犠牲を払ってでも、とがんばったが、誰もが私と同じようにできるわけではないだろう。東京で働いている子供たちが故郷の両親を介護するのは、時間的にも経済的にも負担が大きすぎる。介護したくても、現実的にできない人が大半だろう。

 

・今はコミュニティが崩壊しているので、自分たちだけで世話をしなければならない。だから、介護疲れで親と無理心中する人までが出る。

 

1000万から2000万円でできる選挙>

・プロのうぐいす嬢の代わりに、私の選挙を手伝ってくれるのは、ボランティアの人たちである。街宣車の運転も彼らがやってくれた。男性が多いので女性的な印象を受ける「うぐいす」ではおかしい。失礼ながら、私の選挙では、彼らを「カラス」と呼んでいる。

 

・選挙運動は外に出てやるものだ。支援者と称して集まり、飲み食いをする人たちのために広い事務所を借りるのは本来の選挙運動とは関係ない。

 

ファックスや電話などの必需品も1ヵ月のレンタル。出費は極力抑えた。こうして削れるところは削って、節約すれば、誰でも1000万から2000万ほどの費用に収まるはずだ。カネがなくても足を使えば選挙は勝てるのである。

 

 

 

『日本政府のメルトダウン』    2013年に国民を襲う悲劇

舛添要一    講談社  2011/11/29

 

 

 

<むしろカネがかかる小選挙区制>

・小選挙区制のどこが問題なのか。中選挙区制と比較しながら考えてみよう。第1に政治家の質の劣化。

 

・小選挙区制のもとでは二大政党のいずれかに属していなければ生き残れない。

 

・小さな政党では地方の隅々まで行き渡る組織作りができないため選挙で勝てない。だから私たちのような政党より、圧倒的に組織の大きい二大政党に所属しているほうが有利だ。

 

・言い換えれば、いまの小選挙区制は、選挙にカネがかかるシステムだ。小選挙区制は中選挙区制に比べて選挙にカネがかからないということで導入されたが実態は逆である。

 

・小選挙区制は1人しか当選しないのだから、冠婚葬祭、盆踊り、新年会、運動会と政策勉強とは程遠い、日常活動が必要になってくる。

 

・このような状況だから週末、盆暮れには衆議院議員は地元に張り付き、ひたすら有権者の冠婚葬祭に出席したり、一緒に酒を飲んだりしている。

 

・正月に何回、有権者と酒席をともにしたかで当選が決まるような選挙制度は歪だ。それでも、ライバルが自分より精力的に動けば、選挙に負けてしまう。落選すれば何年間も浪人暮らし。

 

・むしろカネに卑しい政治家が増えた。新党改革の立ち上げに際して、1000万円くれれば、選挙を手伝うと言い寄ってきた現職議員が何人もいた。選挙を金儲けの道具に使おうと醜悪な議員たちをたくさん見た。

 

<若手議員が育たない理由>

・第2に政策が中心にならなくなる。

 

・小選挙区制ではその時々の風で、無能な候補者も当選するので、国会が衆愚の館と化しかねない。小泉チルドレン、小沢ガールズがいい例だ。実際、国会議員の資質がとてもあるとは思えない議員が、いまはいっぱいいる。半数以上が使いものにならない議員だ。だから、私は、国会議員の定数は現在の半分でいいと主張している。

 

・第3の欠点は、政党依存の選挙になり、候補者が自ら戦う努力を怠ることだ。だから小泉チルドレンは、ブームが去ると惨敗した。小沢ガールズも同じ轍を踏むだろう。

 

 

 

『永田町 vs. 霞が関』

最高権力を奪取する者は誰か

 舛添要一   講談社   2007/5/7

 

 

 

<省庁と族議員の既得権の温床>

・ただ、特会には大きな問題点がある。ひとつは肥大化。平成18年度特別会計の歳出額は約460兆円。これは単純に各合計を足した総額であり、他の会計との重複を除いた純計額約225兆円だ。本来、特例的に認められているはずの特別会計(純計)が、一般会計の、なんと3倍近くにもなる。しかも、特別会計の収入のうち、約46兆円が一般会計からの繰り入れ。一般会計の歳出の6割近くを占めている。さらに事実上、特会はフリーパスの状態になっている。

 

・役所にとって、国権の最高機関のコントロールを受けることが一番怖い。国会の監視が届かない財投や特別会計は役人にとって非常に使い勝手のいい財布だった。

 

<天下り阻止に不可欠な道州制>

・道州制で地方分権となると、中央の官庁も当然ながら、大幅にスリム化することになる。今ほど多くの中央官庁は、そもそも必要がない。

 

・結局、最後は憲法に帰っていく。国の形をどうするのか、おおもとから今、問われているのだ。

 

<利口な政治家の役人活用法>

・私が政治家になろうと思ったのは、母親の介護がきっかけなので、現在も福祉の充実には情熱を持って取り組んでいる。たとえばリハビリが短期間で打ち切られるのはおかしいと思うと、それに関連する法律を探し出し、役人を呼び、この政令は変えるように指示したり、こういう法案作りの準備をしてほしいと指示する。後はできあがった改正案をチェックし、閣法として国会に提出させれば、円滑に法案が成立する。

 

・国会を通すうえでも、閣法のほうがはるかに通りがいい。閣法は9割以上が成立するが、議員立法の成立率は2割にも満たず、大半の議員立法が廃案になっている。

 

・金利を厳しく制限すると、業者は危なっかしくて貸せない。借り手も、つなぎの資金が工面できなくなる。あげく、つぶれる業者も出てくるし、わずかなカネのために自殺する人も増える。違法な闇金融が増加する恐れも高い。

 

・アメリカのような自由社会では、カネの貸し借りは個人の自由だから、100%の金利であっても規制はしないし、借り手も文句を言わずに払う。借りたら返す、これは当然の行為だ。初めから高い金利を承知で借りるのだから高すぎるのが悪いというほうが間違っている。だから金利は規制すべきではない。私は、サラ金業界から一円ももらっていないが、論理的に詰めていくと、貸金業規制法の改定はおかしいということになる。

 

<政党も独自のシンクタンクを>

・いずれにしても、民主党が政権交代を目指しているのなら頭脳をまず育てることから始めなければならない。また自民党も霞が関に負けないブレインが揃っていないと政権を維持できない時代がやってくるだろう。

 

<税調で決まる議員の価値>

・裏を返せば、政治家として最も重要な政官業の歯車に入ろうとしない国会議員は存在意義すらない。税調の洗礼を最初から受けようとしない議員は、政治家になる資格はなかった先生だとさえいえる。

 

・みなさんが一票を投じた先生の働きぶりを知りたければ、税調に出席したかどうか、部会にまじめに出ているかをチェックすればいい。税調にも部会にも姿を現さない議員は論外。こういう人に一票を投じてもあなたの声は国家には届かない。

 

・インターネットを活用するのもいい。産婦人科医問題に私が、関心を持ったきっかけは、わが子が妻のお腹の中でウィルス性の病気にかかって死んだからだ。医師から原因を聞いてもよく理解できなかったので、インターネットで調べた。

 

<日本人のお上に対する批判精神が、この国を高めてきた>

・そもそも私は、政治家志望でなかった。しかし、母親の介護で人には、言えない苦労をした。そこで、自分自身の体験から、どうしても、介護のシステムを変えたいと思って政治家になったのである。

 

 

 

『永田町 vs. 霞が関』

最高権力を奪取する者は誰か

 舛添要一   講談社   2007/5/7

 

 

 

<国会質問でわかる議員の優劣>

<ドミニカ移住者に対する特別一時金の支給等に関する法律>

・戦後、日本政府は海外からの引き上げで急増した人々を減らすために、中南米への移住を推進した。ドミニカ共和国への移住推進もそのひとつだった。ところが、それは戦後移民史上最悪の悲惨な移住となった。政府の募集要項では、移民には約18ヘクタールの肥沃な土地を無償譲渡すると書いてあったが、実際は、その3分の1以下の広さで、しかも荒地で、その上、農耕地の所有権も認められなかったからだ。

 

・このドミニカ移民の人たちが、政府にだまされたと2000年に賠償請求を起こし、2006年に東京地裁で判決されたが、「違法行為から20年で賠償請求権が消える」とする民法上の除斥期間の考え方が適用された。ドミニカに入植した時点から20年以上が経っていることを理由に賠償請求を認めず、原告請求を棄却したのだ。

 

・小泉総理は、政府の責任を認め、救済措置を講ずると答えた。これが根拠のなって成立したのが、日本人移民または、その遺族に最高200万円を支給するドミニカ移住者に対する特別一時金の支給等に関する法律である。

 

・国会での質疑応答は、全て議事録に残される。そして、政府の答弁の一言一言が法律の根拠になるのだ。だから、過去の答弁も立法に直結する。

 

・わかりやすくいえば、ローメーカーである国会議員は、法律を通して世の中を変えているということだ。法律を変えるのは何か。それこそが質疑応答なのである。

 

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